鍋を囲むすみれの夜

 グループホーム「すみれⅢ」で、久しぶりに鍋です。
 5人の住人のなかの最年長、田中孝治さんの誕生日祝でした。みんなですき焼き鍋を囲み、お祝いのケーキも出てくる豪華版。すぐ近くに住む、すみれの常連で「準構成員」の高山松潤さんも参加しています。

 人付き合いが苦手だったり、ことばをしゃべるのもたいへんという人もいて、世間一般の誕生日会とはちょっとちがって静かです。コーラで乾杯したあとは、贈ることばも返すことばもなく、すぐ鍋づくりにかかりました。

 男ばかり、しかも日ごろすき焼きなんかしていないから、手順は大胆です。
 すき焼きのタレをボトルひとつ分ドボドボッと大鍋に入れ、野菜と肉を入れてグツグツでできあがり。

 この間、かわされることばといえば、豆腐入れようか、肉、煮えたよ、もう取ってもいいかい、といった短いやり取りのみ。知らない人が見たら、食事を楽しんでいるというよりひたすら食べているだけにしか見えない。
 それでも、鍋にはふだんとちがう華やぎがあります。しかもよく見れば、食事を通してのさまざまなやり取りが見えてきます。

鍋会の主役、田中孝治さん(50歳)

 立って働く人がいる一方で、座って動かない人もいる。鍋をつくる人がいれば、食べるだけの人もいる。ご飯いるかい、と声をかける人もいれば、自分で取りに行く人もいます。
 生卵を割れない人には、代わりに横の人が割ってあげる。
 生卵が割れないのは薬の副作用で手がふるえるからか、何もない家で育った生育歴によるのか、それぞれがそれぞれのことを知っている。だから、できないことがあれば誰かがする。

 静かな食卓のまわりにはさまざまな「支え」と「支えられ」があります。無言の連携プレーの数々が、だんだんと見えてきます。
 なるほど、これがグループホームかとぼくは思いました。診療所にいたら、デイケアだけ見ていたら見えないものが見えたかのようです。

 もうひとつ、おぼろげに見えたことがあります。
 それは、ただ座っているだけ、めんどうを見てもらうだけの人が、すみれⅢでは「役に立たないむだな人」に思えなくなるということです。ほんの一瞬だけれど、そうして座っている人がむしろ「聖なる存在」に見えるときがありました。幻覚なんでしょうけれど。
(2021年6月2日)