障害者は誰だろう

 きのう、障害を勉強する学生に浦河の話をする機会がありました。
 まじめな学生さんたちです。そこでいつものように浦河ひがし町診療所で何が起きているのか、そこにぼくがどんなふうにかかわってきたかを話しました。みんな真剣に聞いてくれたけれど、ちょっと教室の雰囲気がキュウクツだった。早坂潔さんだと、ビョーキだな、っていいそうな。

 どうして浦河の外で精神障害や病気を語ると、キュウクツなんだろう。
 浦河にはつねに笑いがあるのに、どうして浦河の外に出るとそれが消えてしまうんだろう。ぼくの力不足だけれど、それだけでもない。

 そもそもぼくのような人間を呼んで話を聞こうというんだから、学生さんたちには遊び心があっていいと思いました。まともじゃない人のハズレぐあいを楽しむ。でもその遊び心がつづかない。やがて思いました。そうか、彼らは浦河のように、笑いながら病気や障害を語ることがないんだと。浦河以外の町ではほとんどどこでも、それを笑いとともに、楽しみで語るなんてことがないのではないか。

 質問がひとつありました。障害者を支援するってどういうことなのか、というような。自分たちはどうすれば支援にかかわれるのか、どういうふうに支援を進めればいいかという含みがあったと思います。
 そこでぼくはいつものように、必要なのは「健常者への支援」ですといいました。浦河の人びとがいつもいっているように。
 でもそのニュアンスが伝わらない。
 支援っていうのは一方向のものじゃなく、双方向なんですということが、理屈としてはわかっても皮膚感覚としてわかってもらえない。

「文化」を共有できていないんだと気づきました。
 精神病とともに生きながら、その生を笑いに変える。そういう文化を浦河の人びとは半世紀近くかけて培ってきた。その上で、もろいのは健常者、あぶないのはカルテのない人、支援したいといっている人を支援しよう、という見方が生まれました。そんな文化風土を学生さんたちは知る由もない。そこで「健常者への支援」といっても通じないのはあたりまえだと反省しました。
 キュウクツさは、異なる文化の境界で生じていたのです。

 その境界を超えて、ぼくは横浜の自宅にもどりました。自分の住む町をキュウクツだと感じるのは、ぼくもやはり病気なんだろうと思います。
(2021年12月24日)