アメリカ手話、ASLは、ろう者の世界で大きな影響力を持っています。
ちょうど英語が聴者の世界で重きをなしているように。
そのアメリカ手話のなかに、黒人アメリカ手話、BASLとよばれる「方言」があります。じつはこの黒人手話が、多数派のアメリカ手話を支えてきたのではないかという話があります。いってみれば、黒人がいたからこそ、いま世界中でたくさんのろう者が使っているアメリカ手話はそのゆたかさを保ってきたということですね。
これはニューヨーク・タイムズの記事(Black, Deaf and Extremely Online. By Allyson Waller, Jan. 23, 2021, The New York Times)と、その記事に関して伝わってきた友人の議論によります。

それによればアメリカでは19世紀末から、ろう学校で手話を使わなくなりました。「口話教育」という、「音」を重視する教育が広がったからです。でも耳の聞こえない子に「聞け、しゃべれ」といってもうまくいくはずはない。口話教育はみごとな失敗に終わりました。
ろうの子たちの多くは、口話も手話も流暢にはならなかった。その間にアメリカ手話は言語としての力を失っていったのです。

でもそれは白人の世界の話。
黒人が口話教育の「恩恵」に浴することはなかった。
アメリカ手話は黒人ろうコミュニティで生きつづけました。それが黒人アメリカ手話、BASLと呼ばれる言語になっている。
ちょうど英語のなかに黒人英語があるように、手話のなかにも黒人アメリカ手話があるというわけです。
でも英語とちがって手話の場合は、ちょっと乱暴な言い方ですが「黒人のことば」が「白人のことば」を助けたともいえる。白人が手話を禁止、排除しようとしたのに対して、黒人は手話を使わざるをえず、結果として言語のゆたかさを保ちつづけたから。

黒人手話のゆたかさを研究したアメリカの言語学者たちは2020年、『BASLに隠された宝』という本を出版しています。
百年の単位で見ると、口話が強制された社会ではどこでも一様に手話とろう文化が抑圧されました。けれどそのまちがいから立ち直る力は、社会によって、国によってずいぶんちがいます。
(2021年1月31日)