食卓シンドローム

 見逃していたのですが、去年10月、BBCのサイトに「ディナー・テーブル・シンドローム」の記事が載っていました(Why ‘Dinner Table Syndrome’ is getting worse for deaf people, By Sara Nović. 2nd October 2020. BBC)。
 ディナー・テーブル・シンドローム、食卓症候群とでもいうんでしょうか。英語民族ならDTSと略すかもしれない。
 ろう児が、聴者の家庭で育つときの困難をさしています。

 もともとは、ろう児が聞こえる家族に囲まれて夕食をとるとき、食卓の会話から取り残される事態をさしました。みんなが声で会話をしているとき、ろう児はその会話がわからない。食卓に笑いが起きたとき、え、何?と手話で聞いても「いや何でもない」「あとで教えてやるよ」といわれるだけ、ということです。

 イギリスでも日本でも、ろう児、耳の聞こえない子のほとんどは聴者、耳の聞こえる両親のもとに生まれます。ろう児は音声のことばがわからず、両親は手話ができない。だから何かしないと親子で会話ができません。会話以前に、ろう児はことばを獲得できない。これはたいへんなことです。
 もちろん、ろう児は手話をおぼえることで、聴児とおなじように成長します。
 一方、家族、ことに両親にとって手話を覚えるのは、外国語を覚えるのとおなじようにむずかしい。そのため多くの家族は、ろう児と手話で十分な会話ができるまでにはならない。音声語の食卓で、ろう児はひとり取り残されてしまう。食卓シンドロームとはそういう事態をさします。

 BBCの記事は、食卓シンドロームがオンラインの場面でも起きているといいます。
 ズームで会議をするといっても、多くのろう者は自由に参加できない。多数の画面に字幕を付けるのはむずかしいし、それぞれの画面に手話通訳を付けるのもむずかしい。ズームはコロナ下の対策として発達したけれど、それはまず聴者の利用を前提としているのです。

 ぼくがかつていた手話の学校、明晴学園も、日本の学校ではおそらく唯一、食卓シンドロームを課題として認識し、何かできないものかと議論してきました。すぐに解決できる問題ではないけれど、地道な対策を取りつづけるしかありません。家庭での会話は、ろう児の言語発達のきわめて重要な側面なので。
 ぼくらはいつも、どこかで誰かを置きざりにしているかもしれない。そう思って「気にする」ことは、やめてはいけないことなのでしょう。
(2021年1月17日)

追記: 今回の記事はBBC「Equality Matters」シリーズのひとつでした。このシリーズ、ほかに「アングロサクソン系でない名前の発音の仕方」「アパレルのやせ志向からの脱皮」「企業の多様性と有色人種の雇用」など興味深いテーマが並んでいます。