さまよってるんです。デイケアじゃなくて、ぼくが。どうすればいいんだろう。
デイケアの運営を話すミーティングで、ワーカーが打ち明けました。
それ、高級な悩みだよね。
別なワーカーが応えました。
なにか目標があってデイケアをやってるんじゃない、そこで悩むって、高級だ。
浦河ひがし町診療所の、いつもの水曜スタッフ・ミーティングです。
診療所の精神科デイケアをどうすればいいか、これまでにもさんざ話し合ってきました。だからおなじ話のくり返しかというと、そうではない。おなじようだけれど、これまでとはちがう。堂々めぐりのようでいて、新しい迷路に入りむ。だから話し合いは新鮮だし、目新しさも、いくらかの緊張感も失われない。

この日の話し合いもまた、「ひがし町的」でした。
ワーカーのひとりが、さまよっているといったのは、「デイケアをどうするか」ではなく、「自分をどうするか」を考えたからです。こういう発言が出ると、ここではみんなが耳をそばだてる。目が光る。
診療所のデイケアは、コロナのせいもあって人数が減り、プログラムも縮小されました。
それでも「みんなの居場所」であることに変わりはない。そしてみんなとともに何かしなければならない。ところがあれこれ試みても盛りあがらず、人も集まらない、どうしたらいいか、そんなところから出てきたのが「さまよっている」発言でした。

いろいろな話が、ことばが出てきました。
デイケアのメンバーは変わってきた。あの人が自分をしゃべるようになり、この人が家族との関係を変えている。農作業では意外な姿も見えた。メンバーはスタッフの思いこみを裏切ってくれる。下手な計画よりその場の思いつき。スタッフの訪問はメンバーを刺激するし、同行したメンバーが訪問先のメンバーを変えている、などなど。
2時間におよぶ話で、デイケアをどうするかは見えてきません。それはいつものこと。
でも、みんな考えながら動いているさまが見えてきます。
「さまよっている」発言は、みんなもまたさまよっていることを明らかにしました。さまよいながら動き、悩み、話している。いつものように。
そんなやりとりが、この日もまたひがし町ではくり返されています。
(2021年8月26日)