パリのオペラ座が揺れています。多様性をめぐって。
白鳥の湖は白人が純白の衣装で踊る。けど、それ黒人がやっちゃいけないの? 黒い衣装で。
オペラ座の総監督に就任したアレクサンダー・ネーフさんが「多様性」を宣言し、350年つづいたオペラ座のバレー、ダンス、オペラなどの上演品目を再検討するといっています。出演者もスタッフも、もっと白人以外の人を。
冗談じゃない、フランス文化の破壊だと保守右翼が激しい抗議の声をあげている。
英紙ガーディアンが伝えています(New culture war erupts over Paris Opera diversity push. Mon 8 Feb 2021, The Guardian)

ぼくにとってはきわめて興味深いテーマです。
ネーフ総監督は具体的に白鳥の湖に言及したわけではないけれど、言外に黒人が演じる可能性もあることを示唆している。
それは「黒人が、白人の仮面をかぶって演じる」ってどういうことか、です。そもそも芸術作品でそういういことは問題になるのかならないのか。いやもっと以前に、白鳥を黒鳥に置き換えることはできるのか。それは表現の自由か、崩壊か。
ぼくの周辺では、ろう者が出てくる映画や芝居はろう者が演じるのがあたりまえです。むかしの映画『名もなく貧しく美しく』など、聞こえる人、聴者がろう者役を務めた作品のほとんどはニセモノだと、ろう者はいいます。
去年見た映画『サーミの血』は、北欧の少数民族サーミの女性が主役でした。こういう役どころをノン・ネイティブが演じることは、いまはもうありえない。
『風と共に去りぬ』が否定されるのは、たしかに黒人が黒人奴隷を演じているけれど、あまりに現実離れしているから。
でも映画じゃなくバレーはどうなのか。ダンスは、演劇は?

ネーフ総監督は、これは議論のはじまりだといっています。一気に伝統をくつがえすのではなく、時間をかけて新しい伝統をつくるということでしょう。どんなに右翼が抵抗しても。
いずれ「黒鳥の湖」を白人が演じるのも、あたりまえになるかもしれない。
蝶々夫人は、やっぱり日本人になるだろうか。いや、黒人ソプラノになるかも。
ガーディアンの記事で印象に残るのは、オペラ座の動きはアメリカのブラック・ライブズ・マターとつながっているという指摘です。フランスでも去年、激しいデモがありました。
何も変わらないように見えても、いつかどこかで、少しずつものごとは動いています。
(2021年2月16日)