ウクライナから毎日、無数の映像が送られてきます。
戦争の破壊と悲惨を伝えている。しかしぼくには何もできない。無力感とともに、そういう写真を安全な日本にいながら見ていていいのかと、後ろめたさを覚えることもあります。つぎつぎと送られてくる映像で、ぼくの感覚はマヒしているのかもしれない。
いや、まだマヒしていない。
そう思わせてくれる写真がありました。
ワシントン・ポストのカメラマン、サルワン・ジョージズさんが撮った写真です。ウクライナ南部のミコライウという、もっとも激しい戦闘がつづいている町の、どこかの地下室です。

ワシントン・ポスト(3月20日、Must Reads)
殺風景な避難所には、ウクライナ人の父親ビタリーさんと娘のディアナちゃんがいます。ディアナちゃんはこの日が5歳の誕生日、それを祝っているということでした。親子の住むアパートは破壊され、この地下室に避難しました。両親は、ディアナちゃんが大きくなったらこの戦争を忘れてほしいと願っている、という説明が写真にはついています。
ぼくはこの写真を見つづけました。
なんと多くの物語を、この1枚の写真は伝えているだろう。
なんとわびしいところに、この親子はいるのだろうか。それにもかかわらず、なんとしあわせそうな顔を、ディアナちゃんはしているのだろう。

いまこの瞬間にも、地上では爆弾が破裂し、銃弾が飛びかって市民や兵士が死んでいるというのに。おなじ南部の都市、マリウポリでは数十万の市民が餓死するか、戦死するかの瀬戸際に立たされている。やがて自分たちもその運命をたどるかもしれない。そういう人びとが、地下で息をひそめながら、ささやかに誕生日を祝っている。
ケーキも飾りも何もないところで、親子はどんな誕生日を祝ったのだろう。いまこの瞬間を大事にしているのだろうか。生きているだけでもいいと思ったのだろうか。母親はどうしたのだろうか。部屋の隅には粗末なマットが見えるけれど、ディアナちゃんはここで寝るのだろうか。

撮影したジョーンズさんは、イラクで生まれました。おなじような戦火を経験しています。戦争の被害が、難民として投げ出されるのがどんなことかを知っている。だからアメリカに移住し、アメリカの新聞社のカメラマンになりながら、こういう写真が撮れたのだと思います。

ぼくはこの写真を見つづけました。
ウクライナ戦争のもうひとつの顔が見えてきました。
(2022年3月21日)