MAIDへ

 閉塞社会の日本で、もっとも停滞していることのひとつは「死に方」をめぐる議論でしょう。
 終末期はどうあるべきか、安楽死と尊厳死と自殺幇助は、何がどうなってどこまで許されるのか、そうした議論はほとんどすべて止まったままです。
 焦眉の急と思っていたら、「MAID」ということばが目に止まりました。
 メイド、医療幇助死(Medical Aid In Dying)、医療の助けをえて死ぬこと。
 この方式が北米や南米、ヨーロッパでひとつの流れになりつつあります(Opinion: Medical aid in dying is for preventing a hideous death, not for truncating an unhappy life. Jan. 22, 2022, The New York Times)。

 コラムニストのジョージ・ウィルさんによれば、カリフォルニア州は2015年にMAIDを合法化しました。これにより、余命6か月以内で回復の見込みがない患者は、医療の助けを受け、処方された薬などで自ら最期を迎えることができるようになりました。ことし1月からは手続きを緩和し、さらに実態にあった形に法律が改正されています。
 望まない形の死を迎えかねない患者は、より人間的な最期への選択肢を手にしたのです。

 オレゴン州では1997年からMAIDを認めてきたので、多くの患者が死ぬための薬剤を受け取り、安心するようになったといいます。MAIDを合法化した州はまだ少数派ですが、アメリカ全土で4209人がMAIDを使い、90%は自宅で近しい人に囲まれて死を迎えました。
 MAIDを進めている民間団体「慈悲と選択」のキム・カリナンさんはいいます。
「これまでは権威的な指示で決められた最期が、MAIDになり圧倒的に患者中心となってきました」
 全国的な医師会や医療者団体がここ数年、つぎつぎMAIDへの支持を表明し、あるいは反対を取りさげているといいます。

 朝日新聞の「ウェブ論座」がアルバータ大学の樽見葉子教授の話として伝えたところによれば、カナダでは年間3千人近く、全死亡者の4%がMAIDで最期を迎えているということです(2021年1月27日)。
 4%って、すごいですね。
 ということは、MAIDのない日本では、毎年亡くなる人の4%が不本意な、ときに悲惨な死を死んでいるということでしょうか。ぼくらは最期のときですら「権威的な指示」に従わなければならないのだとしたら、これはもうMAIDのある国に逃げ出したくなります。
(2022年1月26日)