いろりのある町

「看取り」のあり方で地域の姿がわかる。
 人生の最期を病院で迎えるしかない町もあれば、自宅での看取りができる町もある。人の最期は住んでいる町で変わる。そんなことを、先週金曜日に開かれた浦河ひがし町診療所スタッフの全体会議で思いました。

浦河ひがし町診療所・全体会議(8月19日)

 この日の話題のひとつは、最近あった看取りのケースでした。
 ひとりの末期がん患者が最期は自宅で迎えたいと望み、スタッフが患者を病院から退院させました。自宅で家族とともにいる最期をつくり、本人は感謝のことばとともに逝き、家族も自然な見送りができたケースです。
 患者は、病院の主治医ではなく、診療所の川村敏明先生に看取ってほしいと頼みました。臨終に立ち会った先生は枕元でお経まであげたそうです。後日、遺族が先生やスタッフに深く感謝していました。

 そういう「納得の看取り」ができたのは、患者がえりも町にいたから、またそこに小規模多機能施設「いろり」があったからです。
 いろりは小さい施設だけれど、地域高齢者のデイケアや食事、入浴、訪問看護や介護など、じつに多彩な機能を果たします。病院でないと点滴ができない人も、いろりの支援で自宅療養が可能になります。患者の一時預かりや宿泊で急場をしのぐこともできる。そういう臨機の対応で、地域では孤立しがちな高齢者を支えてきました。
 えりも町の高齢者には、いろりにかかわることで病院依存から抜け出す道があるのです。

小規模多機能施設「いろり」(えりも町)

 なんで浦河町の精神科クリニック、ひがし町診療所が、40キロも離れたえりも町に小規模多機能施設をつくったのか。そのつながりは外からは見えにくいでしょう。ぼくはそこを、診療所は「自分たちの地域医療」をやりたかったからだ、と見ています。
 法律や制度に流されるのではない医療。高齢者を病院や老人ホームに「収容」するのではなく、町のなかで、自分の家で暮らせるようにする。そのとき、自分たちが進めようとしているのはたんなる医療を超えた、人と人とのかかわりなのだとスタッフは気づいたはずです。
 いってみれば、治すことではなく出会うこと。
 そこから、看取りを重視する思いも出てきたのでしょう。

 えりも町での、いろりを足がかりに進める看取りは浦河ではなかなかできません。
 いまだに大病院や大老人ホーム中心の浦河では、多くの人が人生の最期を病院で迎えます。でもコロナで家族にも会えないという話も聞きました。えりもの2倍の人口がある浦河は、立派な施設はあるけれど看取りはむしろ貧弱なのではないのか。二つの町を見ながら、ぼくはそんなことを考えます。
(2022年8月22日)