ニシンで世界一に

 ジェンダーギャップ指数、男女格差を表す数値で、日本は世界156か国中121位。先進国のなかではダントツの最低です。日本の女は男にくらべ、圧倒的に無視され差別され社会の底辺に置かれている。
 一方、世界一はアイスランド。それも12年連続トップです。
 なぜそうなったのか。それはニシンのおかげだったのかもしれないと、BBCの特集を見て思いました(Iceland’s unsung ‘herring girls’. March 30, 2022, BBC)。

 こんな人たちがいたんだと感心したのは、アイスランド北部のシグルフィヨールという小さな漁港の物語です。

シグルフィヨール(アイスランド北部)
(Credit: Alf Igel, Openverse)

 ここに1920年ごろから、北大西洋のニシン漁船が入るようになりました。そのニシンを浜でさばいて塩漬けにし、樽に詰めて出荷する仕事を女性たちが担ったのです。
 ヘリング・ガール、ニシン娘と呼ばれるようになった人びとです。

「そりゃあきつい仕事でした」
 シグルフィヨールにある「ニシン時代博物館」の館長、アニタ・エルフセンさんはいいます。
「ニシンを樽に詰めるのに、26時間シフトで働く。仕事が終わったら宿に帰ってバタンと倒れて寝るだけ」
 寝たと思ったら、またニシンを満載した船が港に入る。叩き起こされて仕事、なんてことがしょっちゅうだった。なんと過酷な労働。いまの日本の技能実習生とおなじじゃないかと思うと、アイスランドはそこがまったくちがったらしい。

ニシン娘の実演
(Credit: brian.gratwicke, Openverse)

 仕事はやりがいがあって楽しかった、オフのときは町に出て一晩中踊ったもんですと、いまは高齢のニシン娘がいいます。
 なぜなら、女も男とおなじ賃金だったから。仕事ができれば男よりも稼げた。
 そうして稼いだ金で彼女たちは家を買い、教育を受け、旅行にも行くようになりました。男から独立したのです。しかも彼女らはアイスランド最初の労働組合をつくり、1929年から1962年のあいだに70%もの昇給を実現し、女性の参政権運動も進めました。

ニシン時代博物館
(Credit: fremat, Openverse)

 1960年代にニシンが獲れなくなり、シグルフィヨールにはいまはニシン博物館だけが残っています。ニシン娘は観光客相手の実演になりました。
 でもそうやって自立したニシン娘の後継者が、いまのアイスランドをつくっているんですね。世界一のはじまりはニシンだった。ニシンはえらい。
 一方でぼくらは、なんでいまの日本の技能実習生がニシン娘になれないのか、そこを見なければいけません。
(2022年4月11日)