ネズミに罪はない

 ミッキーマウスは好きでも、現実のネズミが好きな人はあまりいません。
 だからネズミは有害鳥獣として駆除される。ネズミだけでなくクマもイノシシもシカも「駆除」、要するに殺してしまう。殺すというとうしろめたいから、駆除。
 さて、ネズミの駆除には倫理があるのかと問いかける記事がありました。大多数の人はそんな問いは完全無視だけど、それでいいんでしょうかと(Is There an Ethical Way to Kill Rats? Should We Even Ask? Feb. 27, 2023, The New York Times)。

バネ仕掛けの「ネズミ捕り」

 議論の背景には、ニューヨーク市のネズミ撲滅宣言があります。
 ネズミぎらいで有名なアダムス市長は去年11月、「この町にネズミをのさばらせない」といい、ネズミ担当官まで募集してメディアの話題になりました。もちろんパフォーマンスにすぎないから、ネズミは堂々とのさばっている。
 そのネズミの駆除=殺処分の現場はどうなっているか。

 どうやっても人道的に対処するのはむずかしいようです。
「接着剤で捕らえるとネズミは何日もかかって餓死することがある。毒のエサも死ぬまでに時間がかかるし、捕食した動物に害が及ぶかもしれない。ネズミ捕りに手足を挟まれ苦しむことも。かといって生きたまま捉えるのはむずかしい・・・生きたまま捕らえても、どこかの自然に放したらその自然を壊すのではないか」
 ぼくらはふつう、そんなことに関心は持たない。ネズミはとにかくいなくなればいいから。
 でも、この世に「いなくなればいい生きもの」なんてあるんだろうか。

 カナダの動物保護活動家、エリン・ライアンさんは、もっと広い視野から見るべきだといいます。ネズミについて知り、彼らの生き方を知ること。ニューヨークに多いドブネズミは、もともとはヨーロッパからの入植者が持ちこんだものです。しかも人間はネズミの天敵であるオオカミや猛禽類を滅ぼし、ネズミが住みやすい環境を作り出してしまった。それをいま、ネズミは存在してはならないから殺せといっている。
 フォーダム大学のネズミ研究者、マンシサウス博士はいいます。
「町のネズミは、ある意味では人間が作り出したものなんです」
 自分たちで作り出しておきながら、いまになってそこにはいるなという。あまりに身勝手じゃないかというトーンが、あからさまにではないけれど研究者や活動家から伝わってきます。

 肝心なのは相手を知ることでしょう。それも人のうわさやネット、メディアの情報ではなく、できればナマの相手と向き合うこと。もしかしたらそこで嫌悪は興味に変わる。おそらくネズミだけでなく、人間が相手でもそれはおなじです。
(2023年3月1日)