ヘールの伝統・3

 精神障害者について、神経学の大家であるイギリスのオリバー・サックス博士はこう書いています(April 21, 2023. The New York Times)。
「“混乱している”、とか“おかしい”といわれる人びとがどう扱われるべきかについては、つねに論争があった・・・彼らを病人と見るのか、ときには危険な存在だから施設に閉じこめておくべきと見るのか、あるいは彼らを家族や地域社会に迎え入れ、彼らに対してより人間的なアプローチを取るべきなのか」
 近代社会はもっぱら彼らを混乱したおかしな人と見なし、精神病院という名の閉鎖施設に隔離収容してきました。けれど一方、少数ではあるけれど目につかない形で、彼らを「家族や地域社会に迎え入れ」る人間的なアプローチがあったとサックス博士は指摘します(脚注)。
 そのひとつがベルギー北部の町、ヘールでした。

オリバー・サックス博士(2009年)
(Credit: jurvetson, Openverse)

 人間についての深い叡智を書いたサックス博士は、『手話の世界へ』や『妻を帽子とまちがえた男 』など、数々の作品で知られる世界的なベストセラー作家です。精神障害についても、障害というよりむしろその人の個性であると見ていました。
「精神疾患はなすすべもなく進行し治療できないように見えても、じつはそんなことはまったくなく、もし家族と地域のなかにいることができれば、誰もがおなじように尊重され、愛され、安心して暮らせる可能性がある」
 その可能性を追求しているのがヘールという町だと、サックス博士はいいます。ここには精神障害の見方を変える暮らしがあるのではないのか。

 ヘールの試みに触発され、ぼくはあれこれつらつらと考えました。
 当然ながらそれは、ぼくが長年かかわった北海道浦河町の精神障害者との対比になります。雑駁な言い方をするなら、地域としてはヘールの方が浦河よりずっと先を行っている。なにしろ行政の支援があるから。でも精神障害そのものに向ける視線は、精神科クリニック「浦河ひがし町診療所」につらなる人びとの方が深いかもしれない。

ヘールの教会
(Credit: Sonuwe, Openverse)

 そんなことを考えながらとても興味深かったのは、ヘールも浦河もどちらも「病気が治る」とはいっていないことでした。治らないけれど、人びとはそこでそれなりの安心と納得を得ている。いまの精神医療の主流から見れば、病気が治らなければ何をしても価値はないかもしれない。けれどそうではない選択肢が現実にあるということです。精神障害者は地域で暮らす、家族のなかで暮らすのが目ざすべき方向ではないか。もちろん「家族」を家父長制や血縁とは切り離して考えるわけだけれど、その方がより多くの可能性に開けているように思います。

脚注)サックス博士はヘールを訪問していますが、この記述はヘールを研究したベルギーの人類学者の著作(『ヘール再訪』E・ローゼンス、2007年。邦訳なし)の「まえがき」に含まれています。
(2023年4月26日)