不透明なパリ

 来年のオリンピックを、40か国がボイコットするかもしれない。
 ポーランドのスポーツ大臣がこんな発言をしています。あまり可能性はなさそうだけれど、発言はIOC、国際オリンピック委員会への強い批判でしょう(Paris Olympics: Up to 40 countries could boycott Games, says Poland sports minister. February 3, 2023. BBC)。

 IOCは来年パリで開かれるオリンピックに、ロシアとベラルーシの選手の参加を認める方向だと先月発表しました。これにウクライナのスポーツ相が強く反発し、オリンピックのボイコットも辞さないとのべています。
 IOCは、どんなボイコットも選手を傷つけるだけだと反論しました。
 これに対しポーランドスのカミル・ボルトニズク・スポーツ大臣は2日、バルト三国のリトアニア、エストニア、ラトビアと協議した上でIOCを批判しています。そして自分たちとともにイギリス、アメリカ、カナダをふくむ40か国が足並みをそろえ、来年のオリンピックをボイコットする可能性があるとのべました。
「これだけの国がボイコットしたなら、オリンピックは開催する意味がなくなるだろう」

 IOCに対してはすでにイギリスも、「戦争の現実から完全に目をそむけている」と反発しています。ただアメリカはロシア選手らが参加するときは「完全に中立の立場」でなければならないとして、個人としての参加を認める余地を残しました。
 40か国ものボイコットがあるかどうかはわからない。でもウクライナが参加しなければ、オリンピックはむなしい集まりになるでしょう。その可能性はないではない。

 政治とスポーツは切り離すべきだというIOCの主張は一見まともです。でも現実のオリンピックは国威発揚の場であり、“スポーツ貴族”のあからさまな金もうけのしくみでもある。汚職事件や談合はあとを絶たない。スポーツの美名のもとに人間の醜悪さがうごめいているとしか思えないけれど、そういうふうに見るぼくはまったくの少数派のひとりでしょう。日本でもどこでも、大部分の人はオリンピックにこころを奪われる。

 ぼくがいまのオリンピックに興味を持たず見ることもないのは、これが「国」という枠組みに閉じこめられているからです。スポーツは本来個人が競うもので、国のためにするのではない。でもオリンピックは誰もが国旗を背負い、そこに熱狂が生まれ大金が動く。そういう枠組みからできるかぎり自由になりたいとぼくは思っているのです。

 すべての国がボイコットすればいい。そしてすべての選手が個人として参加すればいい。そうなれば本来のオリンピック精神が復活する。
 でも不可能でしょうね、そんなの。あと百年は。
(2023年2月7日)