予想外の判決

 しばらく前、死刑制度に反対する若者について書きました(9月28日)。
 2018年に、フロリダ州パークランドで起きた乱射事件の遺族のひとりです。妹を殺されたけれど、犯人がひどい環境で生まれ育ったことを考えれば、死刑という「もうひとつの殺人」を犯すことはできないといいました。怒りを覚えるとするなら、犯人に対してより「こういう社会」に対してだともいっています。

 その犯人に対して13日、裁判所の判決が下りました。大方の予想に反し、死刑ではなく終身刑です。多くの遺族が、こんな犯人がなぜ死刑にならないのかと怒り悲嘆の涙にくれました。けれどぼくは、アメリカのように“荒っぽい国”で、こういう判決が下るってすごいことだと感銘を受けました(Parkland school shooting jury spares gunman death penalty in 2018 massacre. October 13, 2022, The Washington Post)。

「パークランド事件」の直後、銃規制を求める人々
(2018年 Credit: Stephen D. Melkisethian, Openverse)

「パークランド事件」と呼ばれるこの乱射事件では、高校生ら17人が亡くなっています。
 犯人は生まれる前から、社会の闇におかれていました。
 母親は妊娠中すでに麻薬とアルコールの依存症で、胎児のときに脳に損傷を受けている。3歳で深刻な問題を精神科医に指摘され、暴力的な傾向がひどかったのでしょうか、育ての親が公的機関の介入を50回も求めています。
 誰もが認める問題児。でもその問題は本人のせいなのか、社会のせいなのか。
 陪審員もこの点をめぐって対立したと15日のニューヨーク・タイムズは伝えています。

(Credit: Bob Dass, Openverse)

 男性7人、女性5人、あわせて12人の陪審員のうち、死刑にすべきだと主張した人は9人、反対は3人でした。
 フロリダ州の法律では、死刑は全員一致でなければなりません。ひとりの女性陪審員が、「精神病の人を死刑にすることはできない」と主張し、さらに2人の陪審員も反対したため、死刑判決は下せませんでした。

 ここにはきわめてむずかしい問題がいくつも含まれています。
 たとえば犯人を「精神病」と断定してよいのかどうか。ぼくはちがうと思うけれど、陪審員のひとりはそう主張した。ほんとにそう思ったのか、それとも死刑にしないためにそう主張したのか。だとしたら公判前から予断があったのではないか。
 多数決だったら死刑になったのに、制度上そうはならなかった。そこには司法の深い知恵があったのではないか。もしこれがもし日本だったら死刑になっただろう。ひょっとしてアメリカには、日本より成熟した制度があるのだろうか。
 などなど。あれこれのことを考えてしまいます。
(2022年10月17日)