力の精神医療

 今週、関東地方の家族会の集まりに参加しました。
 精神障害者の家族を持つ人びとに、浦河ひがし町診療所の話をするためです。そこでひとつ、はじめて話したことがあります。
 浦河の精神科の影が薄くなっている。
 日本全国にその名を知られた浦河べてるの家には、かつてのような人気がない。“浦河的な生き方”に、多くの人が関心を持たなくなったのではないか。
 気がつけば世の中には、べてるの家の対極にある“力で抑える精神医療”が広がっている。

(王禅寺、川崎市)

 こんなことを話したのは、近年そう感じることが多くなったからです。
 浦河で精神障害者が40年つづけてきたのは、精神病を治すことではありませんでした。病気とともにどう生きるかを考える。病気ではあっても意味のある人生、楽しめる暮らしにするには何が必要かを探し求めてきました。
 悩むこと、考えること、“降りていく生き方”が、そこから提唱されたのです。

 べてるの家の人びとが講演でひっぱりだこになったのは、2000年前後の十数年です。当時の爆発的な人気は、精神障害者と呼ばれる人びとがぼくらの社会に素顔で現れたという驚きによるものでした。
 けれどそこに現れた精神障害者は、病気が治ったわけではなかった。
 笑ってはいるけれど、苦労は絶えない。あいかわらず問題だらけ。その姿に、驚きはしだいにかわりばえのなさへと変わりました。
 素顔の奥にある彼らの「生き方」を知ることが、「世間」にはできなかったのです。

 一時の流行、人気で精神科が変わるわけではない。
 そのことをいちばんよく知っていたのは、べてるブームのあとにできた浦河ひがし町診療所でしょう。診療所の人びとは地域社会に入りこみ、そこで自分たちの役割を考え、暮らしをつくろうとしました。デイケアに参加し、農作業に従事し、傾聴カフェや災害ボランティアをつづけ、冬の雪かきや夏の草取りをします。
 世間に認めてもらうためではなく、地域に根ざした自分たちの暮らしをつくるために。
 彼らの「顔つきのよさ」に、ぼくは引かれてきました。

 浦河の影が薄くなったのは当然だし、むしろその方がいいとぼくは思うようになりました。影が薄くなればなるほど、病気を抑えつけ治そうとする“力の精神医療”からは遠く離れたことになるので。
 世間で影が薄くなったといっても、浦河で、日高地方で、ひがし町診療所の当事者の影は年々濃くなっています。
(2022年4月23日)