動物保護とは何か

 この地球上では、ぼくらから見えないところでとんでもない戦いが起きている。
 動物保護をめぐって。
 野生動物やクジラを守れというのではありません。対象となっているのは牛や豚、屠場で殺される動物たちです。
 そういう食肉用の動物を「殺すな」というのではない。殺しているところを「見るな」という人びとと、「隠すな」という人びとの争いが起きているというのです。
 どういうことか。

 焦点となっているのは、ひとつの奇妙な法律です。アグ・ギャク(Ag-gag Law)法、“農業口封じ法”とでも訳せばいいのでしょうか。アメリカの畜産業や食肉産業が盛んな州によくある法律です。
 かんたんにいえば、食肉工場(屠場)の撮影を禁止している。食肉となる牛や豚が工場でどう扱われているか、どのように処理(殺害)されているか、そのもようを撮影し外部に出すことは、従業員の内部告発であっても犯罪になると決めた法律です。
 動物の権利擁護団体などが、こんな法律は憲法違反だと廃止を求めて争っている。

 ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、N・クリストフさんは、ここには「食肉産業が隠そうとしている真実」があるといいます(What a Girl’s Goat Teaches Us About Our Food. By Nicholas Kristof. April 15, 2023, The New York Times)。
「真実」とは、膨大な数の牛や豚、ニワトリが日々殺され人間の食料になっているというだけではありません。ぼくらが無数の命を奪って生きているにもかかわらず、そのことを自覚させないしくみができあがっていることです。 “農業口封じ法”のようなしくみによって、ぼくらは安心して牛や豚の肉を食べつづけている。
 そう論じるクリストフさんは、自分は農場に育ったから牛や豚、羊は身近な存在だった、彼らを知っているから肉を食べないといいます。肉を食べないのは、ペットの犬を食べないのとおなじことだともいっている。

 ここに、かんたんなようで根源的ともいえる問題があります。
 ぼくらは犬やネコをペットにするけれど、牛や豚をペットにはしない。ペットと食用動物の境界は一部の人間の勝手な思いこみにすぎません。そのこと自体はさしたる問題ではない。ほんとうの問題は、なぜ隠さなければならないかでしょう。ぼくらは何から目をそらしているのか。あるいは、そうしむけられているのか。見ないことによって安心しているのか。さらには、隠されていることに気づかずにいるのか。
 農業口封じ法がない日本でも、起きていることはおなじです。
 隠しているのは「死」。でもそれは「いのち」を隠しているのとおなじことです。
(2023年4月18日)