常識の人

 精神科の診断というのは、スナップ写真ではなく映画のようなものだ。
 アメリカの精神科医のアレン・フランセス博士はこういっています。
 映画のようなもの。
 なかなかいいたとえです。こういうことがいえる人は、むずかしい病気についてもわかりやすく、じょうずに患者に説明できるでしょう。精神科医としてすぐれた資質を持っているにちがいないと想像できます。

フランセス博士の著書 “Saving Normal”
(邦題『<正常>を救え』)

 前回、そのフランセス博士の著書『<正常>を救え』(原題は “Saving Normal”)について書きました。
 アメリカで起きている精神科の「診断インフレーション」を指摘した本書は、「私たちの社会は精神障害であふれかえって」いるといい、いまや“正常”なアメリカ人がほとんど存在しないとされる異常事態を描いています。
 ではその診断インフレーションから抜けだし、“正常”を取りもどすにはどうすればいいか。

 フランセス博士は、経験も訓練もつんでいない一般医が、たった1回の短時間の診察で精神科の診断などできるはずはないといいます。

・・・精神科の診断は患者に重大な、ときには生涯にわたる影響をおよぼす仕事だ。訓練と経験、時間と共感、なによりも慎重さが求められる・・・

 初診での印象は、2回目以降に変わるかもしれない。患者の話はいちどにぜんぶ聞けるはずはなく、良好な関係が築けなければ十分な話を聞くこともできない。さまざまな経過をふり返り、プロセスをへて精神科医は診断にたどりつける。だから「精神科の診断というのはスナップ写真ではなく、映画のようなものだ」というのです。
 いいかえれば、いまのアメリカで精神科診断の多くはスナップ写真だということでしょう。それがどれほど多くの誤診と、薬の誤用、乱用に結びついていることか。

 フランセス博士の著作を読んで感じたのは、「ああ、これは常識ある人だ」ということでした。そんなことをいうと、まるで医者や専門家を見下したように響くかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。
 精神科の世界では、権威の学説や教科書や診断マニュアル以前に、まず「人間としての常識」が大事なのではないかと思うのです。フランセス博士が精神医学会ではむしろ異端だというのも、常識があるからそうなるのだという気がしてなりません。
(2022年5月30日)