性別欄をやめよう

 アメリカをはじめいくつかの国でパスポートの性別欄に「X」が加わったと、このブログに何回か書きました(2021年7月1日、22日、10月29日)。
 男「M」、女「F」以外のジェンダーを自認する人のための選択肢です。LGBTなどと呼ばれる人びとの一部が「X」を使うようになりました。

 ところが、それでも問題は解決しないという人がいます。
 自分は性転換したのに、外見はもとの性に近い。そのために飛行機に乗るときなどしょっちゅうまちがえられ、不審の目で見られる。この居心地の悪さ、屈辱はMでもFでもXでも解決できない。いっそのこと、そんな分類をやめてほしい。
 こんな意見がワシントン・ポストのオピニオン欄に載りました(Opinion: There’s a better solution than offering X-gender passports. By Abeni Jones, April 10, 2022, The Washington Post)。

 これを書いたジョーンズさんは、医学的な治療を受けて男性から女性に変わり、4年前、パスポートの性別欄もMからFに変えました。
 でも身長が180センチ以上あり、ホルモン療法をちゃんと受けているのに外見の男っぽさが消えない。きつい化粧で派手な服を着ないかぎり、どこでもまちがえられるといいます。周囲が自分に向ける目は「あなた男? 女?」ではなく、「あなた何?」になる。
 それはいかにも居心地が悪いと思います。

 ジョーンズさんはいいます。パスポートのX欄は、自分のジェンダーが男でも女でもないという人にはいいかもしれない。でもそれは自分にあてはまらないし、かならずしも「インクルージョンを進める」ことにはならない。自分のような人間にとっては、分類されることがそもそも排除につながるのだと。
 鋭い視点です。

 すでにオランダでは、公的文書から性別欄の表記をなくしたそうです。カナダ、ドイツでもその試みが進んでいる。だからアメリカでも、少なくとも公的文書からは性別表示をなくそうというのがジョーンズさんの議論です。納得できますね。

 そこからさらに、ぼくの思考は漂いました。
 おなじような議論が「障害」についてもいえるのではないか。
 ジェンダーを際限なく分類することと、障害を際限なく分類することはどこかでつながっている。それは必要なときもあるかもしれないけれど、本当に必要なのは分類とは何かを考えること、あるいは分類をなくすこと、そのためにどうすればいいか考えることではないかと。
(2022年4月12日)