手話を言語にした人

 手話研究のパイオニア、アーシュラ・ベルージさんが亡くなりました。91歳でした(Ursula Bellugi, Pioneer in the World of Sign Language, Dies at 91. April 23, 2022, The New York Times)。

 ベルージさんは手話が言語であると解明した認知科学者です。彼女の研究によって、それまで身振り手振りとしかみられなかったアメリカ手話には複雑な文法があり、人間の普遍的な言語のひとつと解明されました。
 1979年の主著「言語の手話 Signs of Language」(E・クリマとの共著)は、それ以降のろう者とろうコミュニティに自立と誇りの念をもたらした歴史的著作です。

ベルージ博士らの著書『言語の手話』(1979年)

 かつて手話はどの国、どの社会でも、原始的なコミュニケーション手段とされ、しばしば「手まね猿まね」と軽蔑されました。それが言語であると最初に「発見」したのは、ギャローデット大学のウィリアム・ストーキー教授です。
 しかし教授の論文「手話の構造」(1960年)は、20年近く放置されました。手話が言語だなどと考える研究者はほかに誰もいなかったからです。

 その研究に乗り出したのがアーシュラ・ベルージ博士でした。
 彼女は脳を研究し、手話も音声語もともに脳の左側の「言語野」と呼ばれる部分を使うことをたしかめています。そこから手話と音声語は本質的におなじという洞察が生まれたのでしょう。さらに研究を進め、手話は世界中に数千ある音声語とまったく対等の文法構造を備えた自然言語のひとつであるという知見を確立しました。

ベルージ博士が在籍したソーク研究所
(Credit: dreamsjung, Openverse)

 手話は言語である。
 それを知ったろう者は、アメリカで立ち上がりました。自分たちは「耳が聞こえない」障害者ではない、手話という「固有の言語を持つ」少数派なのだという自覚が、さまざまなろう運動をまき起こしました。その波が90年代になって日本にも伝わり、今日の状況につながっています。

(Credit: grantlairdjr, Openverse)

 ぼくがベルージ博士の本を読んだのは20年以上前ですが、学術書だのにわかりやすいすぐれた著作だと思いました。手話にもろう者にも、はじめから偏見がありませんでした。それは研究を進める上で最大の問題は、自分が「聞こえる」ことだったと述べたあたりにも表れています。
 耳が聞こえるので、音声言語の感覚で手話を見ていた、だから手話の文法が見えなかったと、初期のつまづきをふり返っています。そこに気づく聴者は少ない。しかし気づくだけの感性がベルージ博士にはあったということでしょう。

 人間とは何かをめぐり、未知の領域を切りひらいた研究者です。
 ドイツ生まれで、ヒトラーの迫害を逃れた移民の子だったと訃報で知りました。
(2022年4月25日)