東風吹かば

 先住民観光は、踊りと展示だけではない。
 こんなふうに考える人が増えています。“インディアンの踊り”や“アイヌの村”を見たりするだけではなく、先住民の暮らしや文化を自分で体験してみる、彼らの歴史を学ぶといった「深いツアー」への要望が、世界的に高まっているといいます(Indigenous Tourism Goes Deeper Than ‘Dinner and a Show.’ Jan. 15, 2024. The New York Times)。

 たとえばニュージーランドの先住民、マオリを訪ねる観光客は、これまでだったら伝統的な踊り「ハカ」を見て満足していました。でも最近はハカの意味や歴史、物語を知りたいという人が増えている。先住民観光に力を入れているジーアドベンチャー社のジェミー・スウィーティングさんはいいます。
「要するにみんな、もっと多くを得たいんですよね」
 おなじ高い金を払うなら、定番の観光スポットを見るだけでなく、それ以上の何かを得たい。観光客の多くが先住民の内面にも入って行きたいと思うようになった。
「世界を見る目が変わるような経験がしたいんですね」
 定番の観光スポットはただの「へえー」だけれど、先住民の世界は「ええーっ?」になる。こんなのありか。世界は変る。

 カナダのブリティッシュコロンビア州では、先住民や川を遡上するサケ、それを取る熊とともに自然を体験するコースがあります。アメリカからこのツアーに参加したエリン・ロワンさん32歳はいいました。
「私は自分の価値観に沿った、目的のある旅行がしたかったんです。ふだんの日常とはまったくちがう世界を感じました。これからも先住民の地を旅行しつづけたい」

 とてもいい傾向です。
 先住民のなかに入っていくのは、見てくれだけでなく価値観もちがう人がいると知ることになるから。たとえば先住民の多くには「私有」という概念がない。ぼくら「非先住民」はあまりにも私有という概念に囚われているのではないか。その気づきの先に、多様性は生まれます。

 一方で、こうも思います。
 観光って、あまり深くなくていいんじゃないか。そんなにまじめにならず、もっと「軽薄」でいい。正しい観光は政治になっちゃう、それじゃつまらないでしょ。
 ぼくは批評家である東浩紀さんの著書『ゲンロン0観光客の哲学』を思い出しています。観光は浅薄で軽薄だからこそ、みんなが入っていける。でも入っていくことが大事。たまたまそこで深いところを見てしまう人も、またたくさんいるのだから。
 21世紀人類の生き方としての観光。そのまじめとふまじめの境界にこそ、可能性は開かれる。
 書を捨てよ、旅に出よう。もうすぐ春。
(2024年1月31日)