歌の流れのなかに

 ああ、この歌だった。いやこんな歌だったっけ、でもたしかにこれだ。
 神野志季三江さんの歌です。

蒼いまま暮れてゆく空いつだって春は止めようもなく来てしまう
   神野志季三江(朝日歌壇 2002年3月4日)

 毎週日曜日、ぼくは朝日新聞の歌壇を楽しみます。ときに、すごいとか、すばらしい、あるいはうーんとうなるような歌をメモすることもある。でもだいたいは読んでそのまま。うつろに覚えてはいるけれど、正確に思い返せない。そういう歌がたくさんあります。そのひとつがこの歌でした。

 まもなく春になろうとするころ、なにやかやで世の中がざわつく。そういう時期に、春が「止めようもなく」「来てしまう」といわれ、ぼくはこころがふわっと広がる思いでした。広がるというより、焦燥でしょうか。ものみな芽を出す、いのちが噴き出す、そのなかによどんだ自分が「止めようもなく」引きずりこまれてゆく。何か大きなものに急かされるような、流されるような、今生にあるとはこういうことというような感覚。
 それはとても個人的な感覚です。ぼくだけの。その、ぼくだけのこころを見も知りもしないひとりの歌人が歌ってくれた。そのことに驚いたのでした。

 あとで、あれはどういう歌だっけ、と思い出そうとしてもわからない。
 いつかどこかで、また会えないかと思う。そんなときに、あったのです、その歌が。
 朝日歌壇に載ったかなりの歌が、デジタル・データベースにまとめられました。このほど公開された「朝日歌壇ライブラリ」で、ぼくらは1995年以降の歌はすべて探し、読めるようになった。そこで出てきたのです。「止めようもなく来てしまう」春の歌が。「神野志季」というめずらしい名前を覚えていたので、探し出せました。

 神野志季さんは学校の先生だったようです。それ以外は何もわからない。でも歌をとおして、親しい知り合いのような気がしています。

職去ればもう逢うこともない友よゆっくりゆっくり忘れていこう
   神野志季三江(朝日歌壇 2004年5月24日)

 神野志季さん、ぼくもあなたのことをいずれはゆっくりゆっくり忘れてゆくでしょう。でもあなたの歌に出会えたことをありがたいと思っています。
(2022年9月5日)