歴史を語る

 自分たちが見てきた精神科の歴史を語ろう。
 こんなイベントが浦河ひがし町診療所でありました。この50年、信じられないほどに変わった浦河の精神科ではいったい何が起きたのか、それを渦中にいた人たちが語り合うという、“浦河ウォッチャー”には絶対に見逃せない歴史的座談会です。

 出席したのは、看護師の塚田千鶴子さんと竹越靖子さん、廣瀬利津子さん、患者の早坂潔さん、精神科医の川村敏明先生という「超豪華メンバー」、司会を高田大志ワーカーが務め、企画した伊藤恵里子ワーカーは札幌からズームでの参加でした。

 1時間半の座談会から、精神科の患者が閉鎖病棟で管理されるだけの日々から、病棟がなくなり、患者が町に出て暮らしはじめるまでの50年の歳月が浮びます。無数のエピソードやことば、記憶の断片が飛び交いました。

 ぼくが興味深かったのは、早坂潔さんと川村先生のやり取りです。中学生で精神科に入院した早坂さんは、「人生終わったと思った」けれど「入院は楽しかった」といいます。精神科は暗いイメージがあるかもしれないけれど、患者同士はみんななかよくやって愉快だった。

 これに、川村先生がからめ手からことばをはさみました。
 かつて日赤病院にいたソーシャルワーカーの向谷地生良さんが、ぼくにいろいろとつぶやいたんですよと。「精神科って、おかしい」「入院が楽しかったら、いけないですよね」。ツイッターなどというものがない時代、そんなことを医者にツイッターしてくるワーカーがいたんだよと、先生は手をたたいて笑います。

川村敏明先生

 入院が楽しかったらいけない。
 それは町のなかの暮らしこそが、楽しくならなければならないということです。
 議論の筋はそういうことだけれど、川村先生は “正論”を唱えない。向谷地さんていう人がねと、話をずらし、笑って早坂さんの経験を楽しむ。場がなごむ。

早坂潔さん

 そうこうするうちに竹越看護師たちの昔話になりました。規則だらけで患者は黙って従っていたけれど、川村先生が来てから規則が消え、患者は町に出るようになった。
 医者も患者も看護師も、みんな考えるようになったんですと、川村先生はいいます。入院が楽しかったのは、いわれたとおりにしていればよかったから。何も考えなかったから。みんなが考えるようになり、語るようになって浦河の精神科は変わりました。
 1時間半の座談会の最後に、早坂さんはいっています。
 いや、悩むことだね。悩むことが大事だ。
 入院が楽しかったらいけないと、ちゃんとわかっているのです。
(2022年6月1日)