浮遊の精神科・3

 浦河ひがし町診療所では5月、「精神科の歴史を語る座談会」がありました。ベテランの看護師が精神科の今昔を語り、記録に残す試みです。
 40年前の精神科は、患者を鉄格子のついた病棟に閉じこめ、無数の規則と罰則で管理する収容所のようなところでした。
 食事や入浴だけでなく、服薬も厳密に管理され、時間になると患者は一列に並んで「あーんと口を開けて」いたと竹越靖子看護師はいいます。その口に次々薬を「放り込んで」、ちゃんと飲んだか確認する。
「文句いう人なんていない。看護婦に逆らったら保護室(に監禁)。患者が自分の気持ちをいうなんて、いっさいなかった」

 精神科医の川村敏明先生が付け加えます。
「薬の時間になるとずらっと並んで。もうまったく、人ってこうだな、管理されると管理する側にちゃんと合わせてくるんだなと、恐ろしいことに。ちゃんと並んで、並ばせたりするのが儀式になって、そういう変なことをいつまでもやっちゃうの」

 管理する側にちゃんと合わせてくる。「規律の内面化」と呼ばれる現象です。
 精神科病棟や刑務所で厳しい管理が行われると、やがて人は進んで規律を守るようになる。収容施設だけでなく、家庭や学校、職場、地域や国家など、権力が行使されるあらゆる場面で「規律の内面化」は起きる。このとき権力は上から来るものではなく、むしろ下から、従う人の内面から生みだされるものになる。
 これが、ミシェル・フーコーのいう権力の形態、統治論です。
 というか、ぼくが理解するかぎりでのフーコー哲学の一部ですね。

ミシェル・フーコー
(Credit: Arturo Espinosa, Openverse)

 浦河赤十字病院の精神科病棟は40年前、こうした規律による支配、内面化が極限に達していました。
 そこに新しく赴任した川村先生は、病棟の統治を少しずつ脱構築していった。規律と対決するのではなく、規律って何かをみんなで考える、そういう方向に向かったのです。薬を飲むのに一列に並ばせるって変じゃないですか、そんな儀式、恐ろしくないですかと。

 思考の積み重ねと対話がくり返され、年月とともに病棟は自由になりました。けれど自由は「先生の指示、命令」によるものではなかった。患者と看護師が変わることで、すなわち患者が自分を語り、看護師がつまらない規則なんかやめようといいだしたことで、少しずつもたらされたのです。

 内面の規律が脱構築され、みんなが権力から遠ざかったところで、病棟には自由が生まれた。座談会では、貴重な歴史の証言がさまざまな声で記録されました。
(2022年7月20日)