ベーシックインカムについては、すでに多くの議論があります。でもここで肝心なポイントだけは押さえておきましょう。以下は10月22日ワシントン・ポストの記事をもとに、ぼく自身の考えをまとめたものです。
・ベーシックインカムは、すべての国民に毎月、無条件で現金を支給する制度。
・タダで金を配れば誰も働かなくなるという人がいるけれど、そんなことはない。いくつもの実験で、貧困や格差が改善され、多くの人が自立し、自分の人生を自分で生きるようになることが明らかになった。競争から共生へ、より公正な社会が実現される。
・ベーシックインカムで社会保障や福祉予算は大幅にカットできます。ことにアメリカではホームレスや貧困救済、薬物、犯罪対策の膨大な費用が浮き、財政的にも可能な政策です。
つまり、できるのです。あとは政治家と有権者が決断するだけ、というのがベーシックインカムを提唱する人びとの主張でしょう。
しかもベーシックインカムには「可能だから、やろう」という以上の意味がある。そのことを、スタンフォード大学のジュリアナ・ビダダヌレ准教授はこういっています。
「私たちには、人びとを取り巻くナラティブに挑戦する、またそれを変えるという目標があります」
ナラティブ、物語を変えるとはどういうことか。
「それはつねに政策以上のもの。私たちがおたがいをどのように見るか、誰かを支えるべきだと考えるのにそうしないでいるとき、そこにどのような障壁があるかを考えることです。もしそこで前進できるなら、ほかの多くのことでも私たちは前進できる」
ぼくらが周囲の人びととの関係性を見直すこと。それはこの社会のあり方をそっくりひっくり返すくらいに、考え直してみることでもある。
ビダダヌレ准教授はベーシックインカム研究所の部長であり、哲学者でもある。たんなる政治的、社会的なレベルを超えた考察を重ねています。彼女の議論の全体像をぼくは把握していないけれど、ナラティブを変えるという言い方は遠い雷鳴のように響きます。
ぼくはベーシックインカムが、強いものが支配するのではない社会への志向といったけれど、ナラティブを変えるという言い方はずっと広がりのある考察に結びつきます。
こういうパラダイムシフトを伴う動きは、日本でもアメリカでもないところではじまるにちがいない。実際、ベーシックインカムの最も大がかりな実験はいまアフリカのケニアで進んでいるといいます。いずれ、ぼくらがケニアの人びとの知恵に学ぶ日がやってくるでしょう。
(2022年11月2日)