生涯に100本

 むかし、「世界の中心で、愛をさけぶ」という小説がありました。
 読んでないけれど、うまいタイトルだなあと感心したものです。
 それはぼくのなかに、「世界には中心がある」という思いが漠然と、だけどたしかにあったからでしょう。でもいまはちがいます。世界に中心はない、中心なんてあったらいけない。そもそも「世界」なんていう概念そのものがありえないと、哲学者のマルクス・ガブリエルさんもいっています。

 そんなことを思ったのは、ツイッターやフェイスブックのような巨大SNSに変化の波が押し寄せ、細分化、多様性が起きているという話を読んだからでした。かつて新聞テレビがインターネットに負けたように、今度は巨大SNSが無数のネット・コミュニティにとって代わられようとしている(The Future of Social Media Is a Lot Less Social. April 19, 2023. The New York Times)。

 SNS、ソーシャル・メディアはもうあまり“ソーシャル”ではなくなった、というのが記事の見出しです。SNSは年とともにますます企業化されている。インスタグラムもフェイスブックも、ティクトクもツイッターもみな商品の広告があふれ、インフルエンサーの宣伝活動の場と化している。家族や友だちのあいだで写真や近況を伝えあう、本来のソーシャル・メディアの姿からは変わってしまった。シカゴ大学のジジ・パパカリッシ教授はいいます。
「いまのネットは私たちのものではなくなった。利用価値が失われている」

 ユーザーのなかには、もっと自分たちの趣味や関心事を語り合うにふさわしいネット・コミュニティを求める動きが出ています。そこでたとえばツイッターと似ているけれどより目的細分化された「マストドン」や、地域の特性に特化した「ネクストドア」といった、小規模なSNSがあれこれ出現している。ひとつのネットワークがすべてを牛耳る時代は終わったと、マサチューセッツ大学のイーサン・ザッカーマン教授はいいます。
「これからは誰もが何十もの異なったコミュニティに属するようになるだろう。なぜなら人間ってそういうものだから」

 小規模な、自分たちに合った無数のネット・コミュニティ。なかでももっとも過激なもののひとつが、ハーバード大学で生まれた「マイナス」というアプリでしょう。このSNSアプリは、ひとりの参加者が発表できる投稿の数を「生涯に100本」と制限している。むだな、どうでもいいようなタレ流しは厳禁。SNSって、そもそも何なのかを考えてしまいます。
 そういうものも含め、SNSの細分化、多様化は大いに歓迎したい。みんながおなじ場にいておなじものを見るなんて、できるだけ避けたいですから。
(2023年4月20日)