AI新世界の前で

 AIの世界でいま一番ホットなのは「チャットGPT」というソフトらしい。
 11月30日に公表されたもので、オープンAI(OpenAI)というサイトにアクセスすれば誰でも使うことができます。AIだから相手はコンピュータですが、相当高度な会話ができ、論文を書かせると高校生なみだとニューヨーク・タイムズのコラムに出ていました(What Would Plato Say About ChatGPT? By Zeynep Tufekci. Dec. 15, 2022, The New York Times)。

 コラムを書いたのはコロンビア大学のゼイネップ・トフェクチ教授です。先端技術と社会のかかわりについて刺激的な議論をつづける彼女のコラムは、これまでも愛読してきました。

Z・トフェクチ教授
(本人のツイッターから)

 トフェクチさんは、AIソフト「チャットGPT」についてこういっています。
・・・ジャーナリストが不正に入手した情報で報道する倫理や、仮想通貨を規制するときの問題点、アメリカ民主主義の危機などについて質問すると、チャットGPTは的確で明晰な答えを返してくる・・・
 そんな高度なテーマに的確に答えるとは驚きです。でも、そのあとにはこうありました。
・・・しかしもっとまちがいやすいテーマや複雑な概念について尋ねると、チャットGPTはいかにももっともらしい、でも決定的にまちがった答えを出したりもする・・・

 つまり限界はあるけれど、チャットGPTは従来の会話ロボットをはるかに超えている。高校生の小論文くらいはかんたんに書くということらしい。
 そうするとすぐに、学生たちが論文を自分で書かず、チャットGPTに任せてしまうのではないか、それをどう防止するかという話になります。
 ここからがトフェクチ論の核心なのですが、こういうAIを学校で禁止したり監視したりするのではなく、それをどう使うか、教育に生かすか、その方法を考えなければいけないと彼女はいいます。
 話をわかりやすくするために、高等数学を論じる人も単純な計算は電卓を使うではないかといっていました。それとおなじように、高度な概念の論文であっても部分部分は必要に応じてチャットGPTのようなAIを使い、全体を自分でまとめていけばいい。そういう作業を通して、AIはどう使えばいいかがわかってくる。そのようにして使いこなすべきだというのですね。
 なるほど、さすがは専門家。冷静です。

 たしかにそうだと思う一方で、でもぼくのようなしろうとはやっぱり落ち着きません。
 いま書いているこのくらいの文章だったら、もうAIにも書けるんじゃないか。そうなったら、これを書いているぼくはどうなるんだろう。無駄な抵抗はやめたほうがいいのか。
 そこでどうすればいいか、回答を出すのがAI。回答がないままに宙ぶらりんで途方にくれるのが人間。そういうことじゃないかとぼくは感じています。その「感じ」をどう言語化するか、そこをAIに助けてもらえばいい、ということかな。
(2022年12月23日)