MAIDは進む

 アメリカ社会で、医療幇助(ほうじょ)死をめぐる論争がつづいています。
 いま話題になっているのは、州を越えて医療幇助死を求めることができるかどうかでしょう。先日(3月31日)このブログで紹介した例は、コネチカット州に住むがん患者が、自分の州では医療幇助死を認めていないので、となりのバーモント州で受けたいといっているケースでした。このためバーモント州では州の法律を変え、住民でなくても医療幇助死が受けられるようにした、という話です。
 この報道には多くの反応があったようで、ニューヨーク・タイムズは後日、あらためて読者の投稿を紹介していました(Should All States Have Aid in Dying Laws? April 13, 2023. The New York Times)。

 ステージ3の乳がんで治療中だというカサンドラさんは、自分の住んでいるニューヨーク州でもMAID(Medical Aid in Dying)、医療幇助死を認めてほしいといっています。
「人生の最後で不必要に苦しみたくはない。治療がうまくいかなかったとき、自宅と家族から離れて最期を迎えたくはない」
 シカゴのキャサリンさんもいっています。
「精神的にも身体的にも、私は自分が耐えられる限度というものを知っている。最後に苦痛で苦しむ姿を家族に見てほしいとは思わない」

 当然ながら反論もあります。医療倫理学者のロナルドさんは指摘します。
「どの州でどういう選択があるかより、考えるべきことはこれが医療による自殺の幇助だということだ。いわゆる医療幇助死は、医療者が自らの役目である医療を放棄したことにほかならない」
 自分たち専門職のすべきことは、人を死なせるのではなく、人の死をケアすることだともいっている。MAIDを全面的に否定するわけではないが、医療者は安易にMAIDに走ってはならないという警鐘がこめられているようです。

 これらの議論を紹介したニューヨーク・タイムズは、MAIDに対する賛否を明らかにしてはいません。けれど議論を深めようとする姿勢は明確で、その一環として読者の反応も拾い上げたということでしょう。かぎられた紙面で紹介された投稿は4通でしたが、このうち3通はMAIDに肯定的でした。おそらくタイムズ紙自身も、MAIDに対しては肯定的なのだろうと想像します。

 人の最期をどうするかは、軽々しく論ずべきテーマではない。反対論のなかには宗教者や医療現場からの声もあり、「安易な死」は医療の放棄だとか、医療費を減らすために悪用されているという批判もあります。けれどそうした議論も踏まえ、アメリカではすでに50州のうちの10州で医療幇助死が認められるようになりました。
 社会を流動化する力が働いているのです。
(2023年4月14日)