コロナ対策で、アメリカが壁に突きあたっています。
国民の3人に1人がワクチンを打とうとしない。しかもその多くが「断固拒否」です。
これではコロナを乗り越えることはできない。
なぜそれほど多くの人が、それほど強く拒否するのか。ニューヨーク・タイムズのサブリナ・タヴァーニス記者の記事は興味深いものでした(Vaccine Skepticism Was Viewed as a Knowledge Problem. It’s Actually About Gut Beliefs. By Sabrina Tavernise, April 29, The New York Times)。

ワクチンに対する理解が進めば、接種は進むとこれまで多くの人が考えていました。でもそうはならなかった。
イエール大学のサアド・オメール博士らは、ワクチンを拒否する人たちは「個人の自由」を重視し、「政府を信用しない」傾向が強いことを見いだしています。彼らのなかには、コロナもワクチンも政府や製薬会社の陰謀だとみる人が多い。そうした世界観はいわば頭というよりは身体にしみついた価値観から来るので、彼らを事実や理屈で説得することはむずかしい。

興味深いのはその先です。
調査から明らかになったのは、ワクチンを拒否する人は自身の「純粋さ purity」へのこだわりが強いということでした。自分自身の身体だけでなく、食物や環境における有毒物質や不純物への懸念。さらにはこころや社会が汚染されることへの恐怖。この傾向はアメリカだけでなく、イスラエルやオーストラリアなど多くの国で共通しているといいます。
なるほど、そういうことか。
ぼくはこの調査結果をみて、全体の構図がクリアになった気がしました。
純粋さへのこだわり。そこから、あの人たちの思いは出てくるんだ。そこを無視して彼らには理解が足りないとか、ワクチンを受けないのは愚かだという言い方をしてもはじまらない。
不純であること、まじりものがあること、異物が混入すること、汚染されていること。そういうことが「心底いやだ!」という思いはぼくも理解できるところがあります。そこから、もしかしたら陰謀論に走る人たちとのあいだにも共通の土壌を見出せるかもしれない。

いや、見出だせないかもしれない。
純粋さは、自身の身体やこころの純粋さだけでなく、家族や地域や、社会や国の純粋さまでも求める傾向に容易につながるからです。そういう純粋さはいやだし、それに囚われてはならないと思います。
一方で、純粋さをかたくなに拒むようであれば、それもまた別種の純粋さになりかねない。やはりぼくらはどこかいいかげんなところがある方がいいんだろうか、とも思います。
(2021年5月1日)