ここ数年、「医療的ケア児」ということばを聞くようになりました。
「医療的ケア」の必要な子どもたちのことです。医療的ケアとは、人工呼吸器を着けたときの痰の吸引や経管栄養など、要するに医師や看護師にしかできないケアのことです。ちょっと乱暴な言い方をするなら「しろうとが手を出してはいけない」、重症心身障害児のなかでも高度な支援を必要とする子どもたちです。
その医療的ケア児の本を、野辺明子さんが送ってくれました(「命あるがままに 医療的ケアの必要な子どもと家族の物語」野辺明子・前田浩利編著、田村正徳監修、中央法規 2020年)。

とても大事な本だと思いました。
医療の進歩がもたらした新しい人間のいのちについて、現場に入りこんだ野辺さんが本人や家族と濃密な時間をすごしながら書いています。
読んで、いろいろなことを考えてしまいました。
ひとつは、こういう、とても“たいへんな子ども”を持つと、家族が変わるということです。
あるお母さんは、出産前にお腹の子に重い障害のあることがわかりました。多くは1年以上生存しない。そこでお母さんは、子どもが生まれても治療をせず自然に任せると決めました。でも生まれてきた赤ちゃんを見て、変わります。
「生きたくて、生きたくて、この子は生まれてきた!」
いとおしい。かわいくてたまらない。この子のいのちを守ろう。
そこからはじめた子育ては、でも壮絶です。たび重なる容体の急変、緊急入院、自宅でのさまざまな医療的ケア、訪問診療や看護、そのあいまに母親の睡眠時間はほとんどありません。結局その子は3歳前に亡くなりました。でもそこまで、とても人にはできそうもない子育てをこの家族はなしとげている。なしとげながら、お母さんだけでなくお父さんもきょうだいも、変わってゆきます。

医療的ケア児といってもさまざまで、生後すぐ亡くなる子もいれば、おとなにまで大きくなる子もいます。育てる家族も一様ではないし、その変わり方もさまざまでしょう。けれど自身も障害児の親だった野辺明子さんは、ときには自分で呼吸することもできない医療的ケア児が、「人々の心を突き動かす不思議な力」を持っているといいます。
世間の多くの人は「1年も生きない子を育てて何になるのか」と思うでしょう。ぼく自身も、かつてはそう思っていました。それがくつがえされるのは、やはりいのちとの出会いでしょう。
目の前にあるナマの、息をしている、ズームでは見ることのできないいのち。
どんなに人の話を聞き、どれほど本を読み、ユーチューブを探しても見つけることができないもの。むき出しのいのちとの出会い。
野辺さんの本がいちばん伝えたかったのはそのことだったのではないか。ぼくはそんなふうにこの本を読みました。
この本は野辺さんのほかに医療的ケア児にかかわる医師の寄稿もあり貴重です。
千葉県松戸市の「あおぞら診療所」で在宅医療をつづけている前田浩利医師は、「病院よりもはるかに在宅医療の現場の方に厳しさがあります」といいます。病院で働くより、患者を自宅に訪ねて診療する在宅医療にたずさわる医者の方が、はるかに技量、人間性、総合力を求められるということでしょう。
大病院の勤務医より町のお医者さんの方が力がないんじゃないかと、漠然と思っていたぼくの軽薄さは、前田先生のひとことでみごとに吹きとばされました。
(2021年1月5日)