バイデン大統領が就任し、ようやく楽に呼吸できるようになった気がします。
なんだかんだいって、前任者のひどいツイッター・コメントが連発されていた日々は精神的な苦痛を覚えましたから。
バイデンさんは就任1日目から、いや1時間目から、前政権の汚泥を掃き出し新風を吹きこんでいます。就任式は平和で、以前のアメリカが少しもどってきました。アマンダ・ゴーマンさんの詩の朗読もよかったし、バーニー・サンダースさんの手袋だとかジル・バイデンさんのシックな青いドレスも印象に残った。
でもぼくがいちばん注目したのは、就任式ではなくその前日、バイデンさんが地元のデラウェア州で行った短いスピーチです。CNBCテレビが伝えています (Biden delivers emotional tribute to Delaware and his late son on eve of inauguration. By Kevin Breuninger, CNBC, JAN 20 2021)。

これからワシントンに向かうバイデンさんは、地元デラウェア州の支持者に感謝のことばを述べました。そこで涙とともに声を詰まらせ、演説を中断しています。
苦難の歳月のすえに、ようやく頂点にたどりついた思いだったのでしょう。若くして妻と娘を交通事故で亡くし、46歳の長男をガンで失っている。そうした悲劇の日々も思いおこしたはずです。でもそれだけではなかった。
涙を拭きながら、彼はこういっている。
「ジェイムス・ジョイスは友人に、私が死んだときは“ダブリンとともに生きた”と書いてほしいといいました。私が死んだときは、“デラウェアとともに生きた”と書いてほしい。バイデン家の誰もがそうです。ありがとう。あなたたちはよいときも悪いときもともにいてくれた。けっして私たちから去らなかった」

おっと。ジョイスが出てくるんだ、ここに。
そういえばバイデンさんはカトリック、先祖はアイルランド。だからアイルランドの作家ジョイスなんだ。アメリカ大統領になる人が、20世紀文学の最高峰ともいわれる作家のことばを引く。
事情を知らなければ、これ、ちょっと気取りすぎと思ってしまう。
でも、ちゃんと背景がありました。
バイデンさんは10代のころからジョイスだけじゃなく、イェイツや、ノーベル文学賞を受賞したシェイマス・ヒーニーといったアイルランドの国民的詩人になじんでいる。彼らを引用するのは自分がアイルランド系だからではなく、彼らが偉大だからといっています。実際、多くの詩を暗唱している。

自分の苦難を、アイルランドの多くの人びとがそうしてきたように、歴史や文化、土地というもっと大きな文脈のなかにおいてみる。そのようにしたとき、彼のなかにはこみあげるものがあったのでしょう。それがデラウェアを去るときのスピーチだったと思いました。
そういう大統領であるなら、ぼくはもう少しこの人に期待していいのかもしれない。
(2021年1月23日)