寒い夜だというのに気持ちがほぐれ、温まってゆく。そこにいる誰もがそれぞれにもどかしさを抱えながらも場の全体はなごんでゆく。
そんなトークショーを昨夜、代官山蔦屋書店で楽しみました。
登場したのは、韓国の映画監督で作家でもあるイギル・ボラさんと、日本の小説家で、台湾語と中国語、日本語のあいだに生きる温又柔(おん・ゆうじゅう)さん。
この二人が登壇するというだけでもう楽しさは約束されたようなもの。妻とともに出かけました。

イベントのタイトルは「イギル・ボラ×温又柔トークショー『私の言語を探して 手話と音声語、中国語と台湾語と日本語の間に生きる』」。
多文化と多言語のはざまに生きるとはどういうことか。
その経験を小説や映画にする、表現するとはどういうことだろう。そういうことをしている「私」は何者か。
韓国でろう者の両親のもとに生まれ、韓国手話と韓国語のバイリンガルとなったイギル・ボラさんはいいます。
ろう文化と手話という言語をその内側から伝えて、そういう特別な境遇に生まれてうらやましいともいわれたことがある。でも私はそのような生まれだからできたわけではない。新しい視点を持ち、考え、自分の物語をつむごうとするなかで私の表現は生まれてきた。
文字通りではないけれど、ぼくは彼女のことばからそのような思いを感じました。ボラさんは異文化、異言語を説明しつづけるのはたいへんだけれど、最近は「すこし力を抜いていえるようになった」といいます。社会が、異文化、多文化へのなじみを少しずつ増しているからでしょうか。

温又柔さんがいったことで、はっとしたのは、日本のいろいろな小説を読んでも、登場するのは日本人だけで、ちょっと「さみしいと思った」という指摘です。
台湾と中国、日本のちがいについては説明しなければならないことが多い。説明できるのはいいけれど、それをくり返していたら小説にならない。では自分の小説はどのようなものか。
きっと「台湾生まれ、日本語育ち」の温又柔さんは「自分自身のことばで書く」ことで自分の居場所を確保しようとしつづけるのでしょう。終わりのない作業は近著「魯肉飯のさえずり」となっています。
多言語、多文化のはざまにいる二人はいまの世界の最先端、日本の周縁。最先端からの表現に、ぼくはさらに期待します。

二人のトークは、イギル・ボラさんの著書「きらめく拍手の音」の刊行記念イベントとして行われました。このイベントに合わせて映画「きらめく拍手の音」もきょうから1月15日まで「ポレポレ東中野」で“出版記念上映”されます。
(2021年1月9日)