不確実に耐える

 AIの支配に抗しよう。
 そのために、ぼくらは「不確実性」に耐えなければならない。
 宗教学者がそういっています。いま盛んなAI議論より、もっと深いレベルの文明論です(It’s never been so easy to find answers. But sitting with uncertainty can ultimately bring wisdom. By Muhammad Abdulsater. 4 Oct 2026. The Guardian)。

 論じているのは、オーストラリアのノートルダム大学でイスラム科学を研究しているムハンマド・アブドルサタル博士です。博士はいいます。
・・・私たちは「知らない」ことをとても不安に思うようになった。
 病気の症状はただちにネットで調べられる。ニュースはつねに最新に更新される。AIに聞けばどんな難問もすぐに答えが出る。まるで出前を頼んだように。
 いまは、なんでもすぐにわかる(かのような)時代だ・・・

 博士はここで、コーランに出てくる有名な逸話を紹介します。
 謎の賢人ヒドルが、預言者モーゼをつれて旅に出る。ヒドルは行く先々で、貧乏な漁師の船をこわしたり、敵の砦を修理したり、わけのわからないことをする。モーゼは混乱したが、ヒドルがなぜそんなことをするか最後になってわかった。漁船は奪われる運命にあり、砦は孤児を守っていたのであった。

・・・われわれはつねに一部しか知らないのに、すべてを知った気になっている。AIが、検索エンジンが、説明や結論をすぐに出してくれることになれすぎてしまった。
 モーゼとヒドルの逸話は、現実はそんなものではないといっている・・・

 逸話が教えるのは、理解は忍耐のあとにやってくることだと博士はいいます。
 説明はわざと後回しにされる。もしヒドルがあらかじめ説明していたら、モーゼは学ばなかった。つきしたがい、学ぶことこそが、理解の前になければならない。
 これは、すべてがわかれば安心できるという現代の大前提をゆるがすものだ。イスラムは、安心は不確実性を排除したところに現れるとは教えない。絶望することなく住まうすべを学んだところに、それは現れるものだ。

 つねにたしかさがあると見せかける文化で、とても大事なのは「私は、まだわからない」ということだと博士は指摘します。
「わかりません」と応答するAIが出てこないものでしょうか。問いについて問い返す、こちらをさらに考えさせる。自分自身も考えこんでしまう、そんなAI。
 そういう「AIコンパニオン」が出てきたら、有料でもいいから手に入れたい。
(2026年10月7日)