オスロへの脱出

 ことしのノーベル平和賞は、ベネズエラ反体制運動のリーダー、マリア・コリナ・マチャドさん(58歳)に贈られました。
 マチャドさんは平和賞を受けるために、命がけでベネズエラを密出国しています。アクション映画のような脱出劇の途中、脊髄損傷の大ケガを負っている。ノルウェーの新聞(Aftenposten)の報道をガーディアンが伝えています(Machado suffered vertebra fracture on secret trip from Venezuela to Norway. 15 Dec 2025. The Guardian)。

マリア・コリナ・マチャドさん
(2017年、Credit: NoonIcarus, Openverse)

 マチャドさんはオスロで、支持者の熱烈な歓迎にあいました。けれどそれに先立ち、オスロ大学の病院で医師の診察を受けています。脊髄損傷はマチャドさんのスタッフも認めているけれど、詳細は公表されていない。
 詳細を明かせない理由があるからです。

 大ケガは、かなり危険な脱出作戦のためでした。
 作戦を担当したのはアメリカの民間会社、GBR(Grey Bull Rescue)です。元米軍特殊部隊員や諜報専門家らを集めたGBRは、これまで何度も重要人物の密出国などを引き受けている。脱出作戦の詳細はウォール・ストリート・ジャーナルが報じ、ニューヨーク・タイムズもこれにつづきました(To Get to Oslo, Machado Skirted Military Checkpoints and Survived Rough Seas. Dec. 12, 2025. The New York Times)。

欧州議会に表彰されたときのマチャドさん
(2024年、Credit: European Parliament, Openverse)

 独裁政権の敵だったマチャドさんは国外に出ることを禁止され、ことし1月からベネズエラ国内に潜伏していました。
 そのマチャドさんをGBR社は探し出し、軍事政権の監視網をくぐり抜けて海岸地帯まで連れ出しています。何隻もの船を使い、カリブ海のオランダ領キュラソー島まで移動。その後は特別機が彼女をオスロまで飛びました。
 カリブ海の荒れた海で船を乗り換えるとき、マチャドさんは脊髄を損傷したようです。

 作戦には多くの危険がともなったけれど、関係者がおそれたのはマチャドさんの船が麻薬密輸船として米軍に爆撃されることでした。それを避けるため、GBRは「何隻もの船」を使ったといいます。複数の船なら米軍は麻薬密輸船と思わないから。
 米軍がこの動きを知らなかったはずはない。けれど支援も介入もしなかった。脱出劇のの背後には何があるのか、疑問は数えきれないほどあります。
 たしかなのは、マチャドさんのベネズエラ脱出が命がけだったことでしょう。「脊髄損傷」がそれを裏づけている。
 ベネズエラの民衆に圧倒的な支持があるマチャドさんが、生きて平和賞を受賞できたことをまずはよろこびましょう。
(2025年12月17日)