オレゴンの挫折

 オレゴン州の薬物対策が後退しました。
 麻薬などの薬物を合法化していたのが、9月から再び非合法化されたのです。この合法化/非合法化の行ったり来たりを見ていると、依存症や精神科の課題はとにかく手間がかかる、理念だけでは進まないことがよくわかります(Hard drugs illegal again in Oregon as first-in-nation experiment ends. Sept. 1, 2024. The Washington Post)。

 麻薬合法化の流れは、2001年のポルトガルではじまります。
 麻薬や覚醒剤などのハードドラッグと呼ばれる薬物を、少量を個人が使うなら合法としたのです。薬物使用者を犯罪者として処罰するのではなく、依存症者として支援する。禁止と処罰から、ハームリダクション(危険の低減)という和解の道への画期的な転換でした。
 薬物使用は減り、死亡者は激減、ポルトガルは世界の模範になりました。

オレゴン州ポートランド

 これに習い、アメリカの先頭を走ったのがオレゴン州です。
 住民投票で承認され、21年からハードドラッグの個人使用は合法化されました。回復プログラムが用意され、財源にはマリファナの売上税があてられた。しかし、どうもうまくはいかなかった。事態は悪化したと、多くの住民は見るようになりました。
 再度の住民投票で、麻薬はふたたび非合法化されました。活動家のエミリー・カルテンバックさんはいいます。
「政治家にとっては、問題を解決するより、問題の人たちを非難し刑務所に入れてしまう方がずっと楽なんです」

 オレゴンの麻薬対策はなぜ後退したのか。
 コロナ禍と重なったこと、強力な合成麻薬フェンタニルが広がったことなど、いくつかの要因が推測される。よく指摘されるのは、支援する人びとの数と組織、ケアの技術とそのための訓練が圧倒的に不足していたということです。行政はそこまでしようとする意思がなかった。
 つまり、依存症にそこまでかかわる覚悟がなかったのではないか。

 オレゴン州は、一度はハームリダクションという画期的な政策に乗ったけれど、目に見える成果はなかった。たった2年間のトライアルで。
 そもそも薬物対策、依存症とのかかわりは計画通りにいくなんてことはないし、どこかで「どうすることもできない」感覚を持たなければならない。同時に「あきらめることもできない」感覚を。そのあいだでの宙吊り。アメリカ人がいちばんなじみにくいこの感覚に、オレゴン州民は耐えることができなかった。
 でも、よくここまでやったと思います。一歩後退だけれど、またどこかで前進してほしい。ポルトガルも状況は悪化しているけれど、まだ耐えています。
(2024年9月11日)