どんなにいい法律を作っても、社会が受け入れなければ風化してしまう。
ケンドラ法の現状を知って、そんなことを思いました。
ニューヨークの州法であるケンドラ法は、重度の精神疾患があり一定の条件を満たすものに、裁判所の判断で強制的な治療を受けさせようとするものです。精神障害者による犯罪への対策として期待されたけれども、どうも期待通りにはなっていないらしい。
精神障害者と犯罪、というテーマの核心にふれる事態です(Kendra’s Law Was Meant to Prevent Violence. It Failed Hundreds of Times. Dec. 21, 2023. The New York Times)。
ケンドラ法は1999年、ニューヨークの地下鉄でケンドラ・ウェブデイルさん(32歳)がホームから精神障害者によって突き落とされ、死亡した事件をきっかけにできました。犯人は重度の統合失調症で、このような悲劇をなくすために精神疾患の治療を進めなければいけないということでできた法律です。
けれどその後も、精神障害者による犯罪は起きつづけている。
ニューヨーク・タイムズの調査によれば、過去5年間にケンドラ法のもとで保護観察中でありながら暴力行為を起こした例が380件もありました。うち5件は地下鉄ホームからの突き落としです。悲劇をくり返さないためにできた法律が、おなじ悲劇を防ぎきれていない。
一方で、ケンドラ法の治療プログラムに入っていながら犯罪を犯した人は、全体の2%以下という推定値もあります。
これを多いと見るか少ないと見るかは、見る人によるでしょう。プライバシー保護のため詳細が公表されないので正確なところはわからない。わからないけれど、記録を見ると、関係者は精神障害者のなかでもっとも接触のむずかしいケースについて、対応に失敗しているらしいことが見えてきます。そこには、予算不足で治療チームが疲弊しているという現状もあります。
行政の担当者はケンドラ法は成果をあげているというけれど、精神疾患連盟のマシュー・シャピロさんはいいます。
「ケンドラ法が活用されているかって? 残念ながらそうではない」
当初、順調な成果をあげているかに見えたケンドラ法は、2011年、人権団体が裁判を起こし適用条件がきびしくなってから、多くの「とりこぼし」を生むようになったといわれます。それは精神障害をめぐって当事者、家族、司法など、社会のさまざまな力がからみあいせめぎ合っているということでもあり、問題が可視化されているということでもある。精神障害をめぐって、民主主義社会がいまこの時点でたどり着いているひとつの形なのでしょう。
成立以来24年、ケンドラ法は魔法の杖ではなくなりました。精神障害者と犯罪というテーマへの回答としての当初の期待は薄れ、社会のあり方に合わせて後退しているけれど、ないよりはましというレベルに落ち着いたのかもしれません。
(2023年12月26日)