ザッツ・ノット・ミー

「多重人格」が流行したのは10年以上前でしょうか。
 いまでは解離性同一性障害と呼ばれている。その当事者である精神科医が、自分自身の体験を語っていました。それを読み、はじめてぼくは解離という障害がわかった気になりました(What It’s Like to Live With One of Psychiatry’s Most Misunderstood Diagnoses. Jones. Jan. 30, 2026. The New York Times)。

 これほど誤解されている精神疾患もないと、ニューヨーク・タイムズ・マガジンが長文の特集で伝えています。
 解離性同一性障害、DID(dissociative identity disorder)の当事者として語ったのは、マサチューセッツ州の精神科医、ミリッサ・カウフマン博士(60歳)でした。
 博士は子どものときから、自分のなかに「子どもの一団がいる」と感じていた。ひとりは好奇心の強い勉強好きの女の子、もうひとりは静かで頭のいいお姉さん、3人目は活発でよく怒る男の子、そのうしろにはいつもドアの陰に隠れ、泣いている小さな女の子がいました。

 なぜ子どもの一団がいたのか。
 それは小さいころ受けた虐待のせいだったといいます。虐待で耐えきれないつらい思いをしている子は、これは自分じゃない、ほかのだれかだと無意識に思いこもうとする。
 自分じゃない。ザッツ・ノット・ミー。これが解離性同一性障害の核心にある感覚だとカウフマン博士はいいます。そういう経験を語れるようになるまでに、何十年もかかりました。

 カウフマン博士はひじょうに明晰な人で、話はリアルでわかりやすい。それを聞くと、かつて映画やテレビで、いまはネットでもてはやされる「多重人格」がいかに誇張され、ゆがめられているかがわかります。
 DIDの多くは、自分を語ろうとしない。語ってもわかってもらえないから、ずっと孤立していました。精神科医のなかにも、DIDなんてないと思っている人がいます。

 そういうDID当事者が、声をあげるようになりました。
「ヒーリング・トゥギャザー」という、350人もの当事者を集めたイベントが去年フロリダ州で開かれています。会場には、自分はひとりじゃないという安心感があふれている。「解離は隠すことじゃない」とか、“多重人格”をもじって「“私”の自己紹介は“われわれ”」なんていう垂れ幕もありました。

 彼らの話を読みながら、ぼくは北海道で出会ったさまざまな精神障害者を思い出しました。ぼーっと宙を見たまま、火のついたタバコが指を焦がしても気がつかないとか、肝心なところで記憶が飛ぶ人がいました。誇張や演技ではない。解離はほんとうにわかりにくい現象だと、いまさらながらに思い返します。
(2026年2月4日)