40年前、遺伝病というものを取材していた時期があります。
そのなかでハンチントン病は伝説的でした。
10万人にひとり程度だけれど、親が遺伝子を持っていると子は50%の確率で発症します。神経系が障害され、舞踏病という別名があるように身体がコントロールできなくなり、認知機能も失われる。多くは中年期に発症し、子どもに遺伝子を伝えたあとで亡くなります。だから親は短命でも、子を通して延々と伝わってきた難病でした。
治療法がなかったこの難病を、遺伝子治療で治しているというニュースがありました(New Treatment Shows Promise for Huntington’s Disease. Sept. 26, 2025. The New York Times)。

治療を進めているのは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで20年にわたりハンチントン病を研究してきたエド・ワイルド教授です。
ハンチントン病は、30億ある遺伝子DNAのたった1か所が変異して発症します。治療法はないとされてきたけれど、ワイルド博士は脳に正常遺伝子を送り込み、変異遺伝子と置き換えることで治療しようとしました。
12人のハンチントン病患者の脳の奥深く、大脳基底核の線条体という部分に正常遺伝子を注入する。それを3年間つづけたところ、症状の進行は75%遅れたといいます。この結果は、治療を受けた患者とそうでない患者の運動能力や認知機能を調べてわかりました。
正常遺伝子は、人間には無害なウィルスによって脳細胞に送りこまれます。ウィルスは1週間ほどで消滅し、正常遺伝子DNAは脳細胞に残って正常に働く。

この方法で治療されるのは、ハンチントン病の発症に関連するとされる脳の特定部分にすぎません。脳の他の部分、脳以外の部分は変異遺伝子を抱えたままです。
だから病気はなくなったわけではなく、進行がゆるやかになるだけです。それでも患者家族にとっては、闇のなかに一筋の光が見えたことになるでしょう。
アメリカ・ハンチントン協会のエイミー・グレイ会長は、「とても興奮している」とのべています。この分野の専門家の多くも、「75%」は注目すべき成果だと認めている。
ただしこの治療法は、脳の深部に「治療液」を注入するため、12時間にわたる脳外科手術を受けなければならない。脳自体の損傷など、長期的にどのような影響があるかは今後の重要な研究テーマでしょう。
遺伝子治療は前進している。40年前にはとても予想できなかった展開です。
けれど遺伝子治療には、倫理面もふくめ、別の限界があることもあきらかになってきました。そのことについては次回に検討します。
(2025年10月1日)