フランスで医療幇助死の議論が進んでいます。
がんで死期の迫っている人などが、医師の力を借りて自ら死ぬことを合法化する法案です。ヨーロッパではイギリスとフランスで同時並行的に医療幇助死の議論が進んでいます(France’s National Assembly votes in favour of legalising assisted dying)。
医療幇助死は、英語ではアシステッド・ダイング(assisted dying)、ADとも呼ばれる。「助けをえて死ぬ」ことですが、カナダではMAID(medical assistance in dying)、「死ぬことへの医療の介助」と呼ばれる。推進派は「死ぬ権利」の行使だと主張し、反対派は自殺を勧める法案だと批判する。いずれにしても、死が直前に迫っている人が、医者や看護師の「助け」をえて死期を早めることをさします。

ヨーロッパでは、すでにオランダやベルギーが2002年に医療幇助死を合法化しました。フランス人のなかには、これらの国に行って死を迎える人がいる。それはおかしい、死ぬ権利を国内で行使できるようにしようと医療幇助法が提出され、5月末、フランス議会下院はこれを305対199で可決しました。上院で可決されれば成立します。
フランスもイギリスも、世論調査では多くの国民が医療幇助死を支持している。けれど両国とも自殺を禁ずるキリスト教の影響力が強く、保守派が法案に反対しています。成立までにはまだ紆余曲折があるかもしれません。
死ぬ権利をめぐって、欧米では広く議論が行われている。一方日本は、議論はないままに医療現場のほうが先に進んでいるのかもしれない。
ぼくのかぎられた伝聞と経験からの推測ですが、がんの終末期などで明らかに死期が迫っている患者に、医療現場では「忖度の緩和」をほどこすことがある。一定量以上の麻薬系鎮痛薬を投与すれば患者の死期が早まると予想されても、あえてそうしている場合があるようです。
もちろん患者本人だけでなく、家族のかかわり方も十分にわきまえたうえで措置していると信じたいけれど。

議論する欧米、実態が先走っている(かもしれない)日本。どちらがいいかはかんたんにいえない問題です。
ぼく自身は、自分がそうなったら最後は医師、看護師が「自由裁量」で処置してくれるといいと思っています。
終末期ともなれば、人は死ぬ意志どころか、ものごとを考える力もほとんど失っている。そんな状態で耐えがたい苦痛が長引くのはかなわない。早めに逝かせてほしいときに、それを的確に捉え、対処してくれる医療職がいるか、いないか。
そんなすぐれた医療者が、いつもいるとはかぎらない。
やっぱり法律はあったほうがいいという気がします。
(2025年6月4日)