世界の裏側ということばとともに、ガタリの思想を推測できるのが「小集団」です。
小集団とは、「それぞれの工場、それぞれの街、それぞれの学校」で、そこにいる人々が自分たち自身に「君臨する」集まりらしい。「基盤的グループや人工家族、あるいは小さな共同体」、中央集権や参謀本部のない集まり。そんなものがイメージされている(『精神分析と横断性』の「われわれはみな小集団なり」から)。
1968年の学生運動で、共産党による「大衆組織の無力化」を経験したガタリは、肥大化した組織が必ずおちいる官僚化、「やりきれなさ」を熟知している。だから精神分析家として活動したラボルド病院でも、つねに「支配」や「横ならび」を警戒しました。そのガタリが早くから唱えていたのが小集団です。
哲学者のジル・ドゥルーズはこういいました。
・・・「われわれはみな小集団である」というガタリの言葉は、ひとつの新しい主観性の探求をよく示すものである・・・(前掲書)
小集団は、確固とした不変のものではない。つねに姿形を変える可能性をはらんでいる。そういう小集団が無数にあって相互に連携し、そのときその場でいかようにもつながり、あるいは離れて機能するというイメージでしょうか。
そんなのできるわけないと、社会運動家のほとんどがいうでしょう。
でもガタリは小集団という。それは彼が社会運動家である以上に精神療法の革命家だったからでしょう。精神医療で人間とかかわろうとしたら、大集団ではできない。
ここでもまた、ぼくはガタリと北海道浦河町の精神科とを重ねてしまうのです。
ガタリのいう小集団は、精神科クリニックである浦河ひがし町診療所とイメージが重なる。
ひがし町診療所の場合、小集団とはいってはいないけれど、代わりにこういっています。
有名にならない。
たくさんの人に知られなくてもいい、たくさんの人が来なくてもいい。宣伝はしないしホームページもつくらない。意図したわけではないけれど自分たちは小集団であり、そのままでいい、それがいいと思っている。
有名にならないというのは、有名な「べてるの家」への対抗言説でもある。けれどそれだけではありません。もっと大事な意味があります。
かつて診療所の精神科医、川村敏明医師はいいました。自分たちは「聖地になってはいけない」と。立派なことをしているわけではない、権威ではないし、あこがれてもらうような存在でもない。そのたたずまいが診療所をより自由な、とらえどころのない小集団にしている。「新しい主観性」が探求されるガタリ的な世界が拓かれていると、ぼくは見ています。
(2025年1月29日)