ミャンマーで反政府勢力が攻勢に出ています。
東部、シャン州の首都を制圧し、政府軍は「歴史的敗北」を喫しました。ただちに軍政がゆらぐ事態ではないけれど、反政府勢力は着実に足場を広げ、ミャンマー軍事政権はさらに追い詰められていると感じました(Myanmar Rebels Claim Regional Military Base in Major Victory. Aug. 5, 2024. The New York Times)。
反政府軍が進出したのはシャン州の州都ラシオです。
政府軍の14ある軍管区のひとつが司令部を置いていたところで、その基地が8月3日、反政府軍に制圧されました。政府軍側も5日、「住民を守るために撤退した」と発表しています。
基地には4千人の政府軍兵士と家族がいて、将軍3名を含む多数の将兵が捕虜になったとされる。司令官は国境を超え、中国側に逃亡したようです。
ラシオは中国との国境に近く、交易の拠点で飛行場もある要衝です。ここが陥落したのは軍事政権にとって痛手でしょう。
興味深いのは、反政府側で今回、戦闘の中心になったのはコカンと呼ばれる中国系の少数民族だったことです。ミャンマーには山岳部に多数の少数民族がいるけれど、中国系がいたとは知りませんでした。中国との国境地帯だから当然のことではあるけれど。
軍事政権は、反乱軍が国境の向こう側からさまざまな武器やドローン、短距離ミサイルまで持ちこんだと非難している。事実かどうかはわからず、中国が反乱軍を支援しているかどうかもわからない。
中国は表向きミャンマーの軍事独裁政権を支援しているけれど、反政府勢力とも通じているといわれる。要はミャンマーとの国境地帯で影響力を維持したいということでしょう。そこにこんどのように、相当な戦闘力を持つ中国系部族が登場したとなると、ミャンマー反政府勢力の複雑怪奇さを思い知らされます。
ミャンマーに目を向けたのは、バングラデシュの「革命」があったからです。
南アジアで、あいついで大きな動きがあったと感じました。
バングラデシュの独裁者は、反対派を弾圧し多数の死者を出している。けれど人びとは抵抗し、独裁政権を倒しました。暫定政府のトップに、ノーベル平和賞を受賞した社会運動家をかつぎ出している。そこまでなしとげるのにどれだけの犠牲を払ったのだろう。
ミャンマーの人びとは、そこまでいけるかどうかわからない。すでにバングラデシュより大きな犠牲を払いながら、まだ先が見えません。でも軍事政権を倒し、一度手にした自由を、少数民族の自立を取りもどしたいと戦っている。
この地球上に自由を求めて戦う人びとがいるかぎり、彼らへの関心を失わないでいたいと思います。それがやがて、自分の足元で自由を求める動きにつながることを願いながら。
(2024年8月8日)