手紙がなくなる

 デンマークでは、ことしいっぱいで郵便がなくなるそうです。
 デジタル化に押され、紙の郵便が姿を消す。予期してはいたけれど、実際になくなると聞けば「ぼくらの時代」が終わるのだと思う。日本はもうちょっと先だとしても(Denmark postal service to stop delivering letters. March 6, 2025. BBC)。

 デンマークは去年、新しい郵便法を作り、郵便業務に民間業者の参入を認めました。これにあわせて国の郵便事業は小包にしぼり、手紙の配達をやめます。
 4600人の郵便職員のうち1500人が解雇され、全国に1500か所ある郵便ポストはことし6月から順次撤去作業がはじまります。
 紙の郵便は2000年に14億通あったのが、去年は1割たらずの1億1千万通にまで減っていました。

 手紙がすべてなくなるわけではなく、これからは民間業者が引き受けます。でも手紙1通が29クローネ、約600円にもなるといわれる。高齢者や遠隔地に住む人にとっては相当な打撃でしょう。

 デジタル化のおかげです。
 デンマークは最もデジタル化が進んだ国のひとつで、買い物をするにも現金は使わずデジタル決済。運転免許証や保険証もみなスマホに入っている。公的な通知はすべてネットを介したデジタル情報になりました。
 郵便の縮小は欧州全体の流れです。ドイツも18万7千人いる郵便職員のうち、ことしは「社会情勢に合わせて」8千人を解雇する。縮小はさらに進むでしょう。

 手紙が消える事情はわかるけれど、なんだかむなしい。
 紙の上に手で文字を書くということ。手書きの「ふみ」が、時間と手間ひまをかけて遠くの相手に届けられるということ。それは新幹線ではなく、在来線で東海道を旅するようなものです。世界との、他者とのかかわり方がちがう。
 ゆっくり、ていねいに、時間をかけて。
 そういう生き方が、しだいにぼくらのまわりから消えてゆく。
 先進国のなかで、旧来の郵便事業が残っているのは日本だけだそうです。それは日本の後進性と批判されるけれど、また郵便局が保守党の支持基盤だった政治性ともつながるけれど、でも、手紙というものを消滅させてはいけないのではないか。
 デジタル化を当然としながら、ここでは矛盾した気持ちがあります。
 手紙をなくしたぼくらは、さらに貧しい精神生活を送るのではないかと。
(2025年3月14日)