未来のない集中育児

 先進国はどこも出生率の低下に悩んでいます。いちばん有名な韓国は、去年の合計特殊出生率が0.75、このままでは国が消滅してしまうといわれている。日本は1.25、韓国よりいいけれど、計算上はいずれ日本もなくなってしまう。
 ロシアも中国もこの傾向はおなじ。パターナリズム(父権主義)の社会はどこもそうなるのかと思ったら、北欧のノルウェーもおなじだそうです。パターナリズムよりさらに深い、文明潮流の変化が起きているのでしょうか(‘Rethink what we expect from parents’: Norway’s grapple with falling birthrate. 17 May 2025. The Guardian)。

 ノルウェーは出産育児への手厚い給付や休暇など、世界でもっとも進んだ支援を行ってきたけれど、出生率は向上していない。2009年に1.98だった出生率は2023年には1.40まで下がりました。

 原因は出産年齢の高齢化や、若者が結婚しないこと、子どもを作らないなど、どの国にも共通する現象が指摘されています。これに対し政府は「出生率委員会」を設置、30歳以下の親への給付を増やしたり、学生に奨学金を支給するなどの暫定策を検討しています。

 議論のなかで出てきた新しい注目点が、インテンシブ・ペアレンティング、集中育児あるいは強化育児です。親が専門家の助言に従い、より多くの時間と愛情と資金を育児に注ぐ。この数年顕著だと、ベルゲン大学の専門家、ヘレロアリアス准教授はいいます。
「子育てはますますたいへんになった。複雑で手間がかかり、親の責任はさらに重く、これまでのような子育てではなくなっている」
 子育てが魅力のないものになっていないか。それが少子化に影響しているのではないか。

 ぼくは、これは重要な指摘だと思います。
 先進国はどこも出生率の低下に悩んでいる。対策は出つくしたのに問題は解決されない。それは「いまの子育て」が人間性にそむいているからからではないか。
 子育てはみんなでする。そういう方向への転換が考えられないだろうか。
 母親と父親だけではなく、みんなで見る。隣近所の多くの人をふくめたみんなで、ゆったり、のんびり、見る、引き受ける、楽しむ。

 架空の話ではありません。その実例をぼくは北海道浦河町で見てきました。統合失調症の母親が子育てに苦労し、その苦労を周囲のみんなが支え、引き受けるという形で。
 そこには、人類はもともとみんなで子どもを育ててきたという原初の感覚がありました。
 親だけがする子育ては行き詰まる。みんなですれば道は開ける。そういう方向に向かわなければ、少子化という文明の課題には対処できない。そのためには何をすればいいかを考えるべきだとぼくは思うのです。
(2025年5月28日)