沈黙の読書会

 読書会というのは世にたくさんあるけれど、食わずぎらいでした。
 読んだ本の感想を発表するなんて、苦手というよりは危なそうに思える。そもそも行きたい気が起きなかった。
 でも、こんなのもあるんですね。沈黙の読書会。これなら行ってみたいかな(Silence please: how book clubs without the chat help focus the mind. By Stephanie Convery. 8 Mar 2025. The Guardian)。

 紹介されていたのは、メルボルンの集まりでした。
 市民センターのようなところに、10人ほどの本好きがやってくる。コーディネータであるスカイ・ベネットさんがひとりひとりを出迎え、あいさつ程度の会話のあと、みんな自分の好きな席に向かいます。ビーンバッグやソファで、スルールや肘掛け椅子で、思い思いに本を開く。指定図書はありません。何を読んでもいい。会場には小さな本棚もあるけれど、ほとんどの人は自分の本を持ってきます。

 メルボルンはいま夏なので、窓を開けた部屋にはそよ風が入ってくる。静かで居心地のいい空間で、人びとは黙って本を読む。規定は1時間。でも時間をすぎても読みつづける人が多い。読後の感想会や話し合いのようなものはありません。本を閉じたら三々五々、会場をあとにするだけです。

 だったら、なんで集まるのか。
 ひとりで読めばいいじゃないかという疑問に、コーディネータのベネットさんはいいます。沈黙の場だからこそ人は別な形でつながることができる。
「社会的な圧力がない。読後の感想をのべる緊張やおびえがない。そういう場だからこそ、自分にあったやり方で人とつながれるんです」
 ただ集まって、本を読む。みんないっしょに。黙って。
 ひとりで来た人も、帰るときは何人かいっしょということもめずらしくない。

 コンベリー記者の記事は、含蓄がありました。
「沈黙の読書会の魅力には、いくらか霊的なものがあるかもしれない。本を読んでいるあいだ、会場には夏の日がかげってゆく。町のざわめきが遠くに聞こえる。そこで本を読むのは、文学作品への没頭というより瞑想に近いかもしれない。あるいは祈りに。目的をともにした人がいる場、そこに人はやってくる。読むことは儀式。ここは本を愛する人びとの教会だ」

 読書、沈黙、ともにいること。祈り、のようなもの。
 ここには深い意味があるんじゃないかと、ぼくはいろいろなことを考えてしまいます。
(2025年3月10日)