精神症者(精神障害者)はほとんど、殺人などの重大犯罪を起こしません。
彼らは健常者より安全です。ところが、近親者となると事情は一変する。精神症者による殺人で、犠牲となるのは家族や身近な人が多い。
この問題に巻きこまれた精神症の当事者が、回顧録を出版しました(A Secret History of Psychosis. By Ellen Barry. March 29, 2026. The New York Times)。

『現実の修復』(Mending Reality、本邦未訳)という本を書いたのは、コーエン・マイルズラスさんです。
彼は大学4年生(22歳)のある日、自宅にいた父親を殺そうとナイフで襲いかかりました。統合失調症の妄想による犯行です。
「自分というものが完全になくなっていた。自分はすべてを知っている、神になったかのような感じだった」
父親のなかに悪魔がいる。そう思いこんでの犯行です。父親はやめろといったけれど、ナイフを持つ息子の目つきはうつろだった。
「あれは息子じゃなかった。恐ろしかった」
どうにか押さえつけ、警察を呼んだ。息子は刑務所に収容され、抗精神病薬で1か月後に落ちついています。
アメリカでは、子が親を殺害する事件が年間300件ほど起きている。その多くが重度の精神症になった若い男による犯行だといいます。彼らは学校でも職場でもうまくいかず、親が最後の支えになる。その親が標的になってしまう。
コーエンさんの場合は、幸運なことに父親が自分を取り押さえてくれた。けれど、あのときたしかに自分は自分でなくなってしまい、父親を殺そうとしたという記憶は残っている。その記憶を、いまも重荷として負っている。

事件から10年たち、コーエンさんはソーシャルワーカーになりました。
精神症で自分を失うとはいったいどういうことかを、できるだけ多くの人に話すようにしている。講演会で、精神症の子を持つ親たちの会合で、話し、質問に答えるのを自分の役割としている。
「ほかのだれにもこの役割ははたせない。私はみんなの反対側からやって来て、そういう自分の経験を話すことができる」
いちどは親を殺そうとしたけれど、親も子もそれは病気のせいだとわかり和解している。いまは抗精神病薬を飲んでいないけれど、再発は警戒しなければならない。結婚し、子どももできたコーエンさんは、精神症の兆候が現れていないかつねに気をくばり、ノートをつけながら自分を見守っています。
(2026年4月6日)
