イギリス議会下院が「死ぬ権利」法案を可決しました。
法案は、次に上院で可決されれば成立します。イングランドとウェールズでは、終末期を迎えた患者が、希望すれば自分の死を自分で選べるようになるでしょう。
この法案を提唱したキム・レッドビーター議員(労働党)が、ガーディアン紙に投稿していました(Britain is one step closer to compassionate, kind death for all. Kim Leadbeater. 20 Jun 2025. The Guardian)。

・・・長くきびしい道のりだった。終末期の死が選べるかどうかの議論は百年近く前、1936年に英議会ではじまっている。終末期の人びとはくりかえし、自らの最期を自ら決めたいと議会に要望してきた。死を間近にしながら裁判に訴えた人もいる。裁判官は、それは政治が決めることだといった。そして下院は決定を下した・・・
レッドビーター議員は、イギリスの民主主義が「良心のありかた」を決めたといいます。税金や社会保障のような社会設計ではなく、私たちの良心のありかたを。
人の死は、本人を含め誰も人為的に左右してはならないという旧来の生命観があり、太古から「良心」として定着している、けれどそれを「放置していいのか」という議論です。レッドビーター議員を動かしたのは、終末期の多くの患者でした。
・・・彼らは、「自分はまにあわなくても、私のあとにつづく人が苦悩と尊厳をそこなった過酷な死からのがれるようにしたい」といった。もしもこの法律が通らなかったら、彼らは絶望におちいっただろう・・・
法律を進めたのは、彼らへの共感と公正さを求める心があったから。
イギリス議会は、この法案を可決した日を誇りとすべきだ。

可決とはいえ、賛成314票、反対291票でした。
世論は明確に死の権利を支持しているけれど、議会はもめたということです。
あのイギリスでも、こうした問題に明快な判断はできないのかとちょっと意外でした。
死というものを身近に見ていたら、議論はもう少しちがったのではないか。
むかしの、畳の上で家族に見守られて逝く死はいまや空想です。大部分は病院で医療機器にかこまれ、患者は「生物」として機械的に処理される。コロナ禍以来、看取りもできなくなりました。ぼくらはヒトというよりモノとなり、痛みと苦しさだけでなく、孤独のうちに「長引かされる死」を死ななければならない。
そんな最期を迎えたくはない。
コロナ以前に何人かの親族を病院で看取った経験から、ぼくは切にそう思います。
「病院に支配される死」から、自由になりたい。
(2025年6月23日)