トランプ大統領のイラン攻撃は「無責任だ」と、ニューヨーク・タイムズが社説で非難しています(Trump’s Attack on Iran Is Reckless. Feb. 28, 2026. By The Editorial Board. The New York Times)。
「2024年の選挙で、トランプ候補は大統領になったら戦争を終わらせるといった。ところが就任して1年で7か国に軍事攻撃をしかけている」
選挙公約には何の意味もなかった。今回のイラン攻撃もまた、議会の同意をえないまま、憲法を無視してはじめた戦争ではないかとタイムズの社説は批判します。

おまけに戦争の開始を午前2時半、ビデオ録画で発表している。こんなやり方は「受け入れがたい」。軍事攻撃をまるで花火みたいに自慢し、攻撃がはじまる時間に自分は寝ているからと、録画で発表させている。なんといういいかげんさか。
社説の主張は、つきつめれば「説明がない」の一点です。
なんでこんな戦争をはじめるのか、大統領は説明せず、説明しようともしない。
一応、イランはアメリカにとって重大な脅威だといっているけれど、核兵器も大陸間弾道弾もないイランが、なぜアメリカにとって脅威なのか。自分のいうことを聞かない国には戦争を起こすというのでは、あまりにいいかげんではないか。
脅威論とともに、政権交代論もぶちあげている。それが聞き届けられないと、最高指導者を爆撃で殺してしまう。
その乱暴さ、みさかいのなさ。
たしかにイランの最高指導者ハメネイ師は、反政府デモに参加するイラン市民を徹底的に弾圧し、虐殺をくり返してきました。だからといって、アメリカが最高指導者を暗殺していいはずがない。タイムズの社説は文字どおりそういっているわけではないけれど、そういう意味の批判を、どこか諦念をにおわせながらも述べています。

力は正義。
トランプ大統領の正義は「理」ではなく「力」。それも、目先の、金の、虚栄の力。
そういう権力者をかろうじて止めるのは、「選挙」という「力」しかない。というわけで、ぼくはことし11月に行われるアメリカの中間選挙に期待します。ここで反トランプ勢力が躍進すれば、議会が少しはトランプ政権をチェックできるようになるのではないか。
でも、期待通りにならないかもしれない。
世の中は自分の思うとおりにはなりません。多数派にならず、マイノリティでいつづけること。そう自分の言い聞かせ、心の平和を保つことにしています。
(2026年3月2日)
