辺境からの視線

 アール・ブリュットを正面から取りあげた美術展が開かれています。
「フランソワ・トスケル:アバンギャルド精神医学とアール・ブリュットの誕生」と題する展示で、ニューヨークのアメリカン・フォーク・アート美術館でことし4月から8月まで開かれています。見たわけではないけれど、展示を想像していろいろなことを考えました(The Avant-Garde Psychiatrist Who Built an Artistic Refuge. July 19, 2024. The New York Times)。

アメリカン・フォーク・アート美術館(ニューヨーク)
(Credit: Dan Nguyen, Openverse)

 タイトルにある「フランソワ・トスケル」は、20世紀なかば、南フランスのサンタルバン病院にいた精神科医です。彼のもとで、患者たちが最初のアール・ブリュットを手がけました。だから美術展のタイトルは、「前衛的精神医学のトスケル医師がこの世に送り出したアール・ブリュット」といった意味でしょう。

 アール・ブリュットは障害者アートなどと呼ばれたこともありますが、いまはアウトサイダー・アートや生(き)の芸術などと呼ばれます。この展示も、精神病患者の作品がなぜ20世紀フランスでアール・ブリュットとして認識されるようになったのか、そこにトスケル医師や当時の精神医学はどのようにかかわったかを伝えています。精神科に興味のあるものにとって強い関心をかきたてられる展示です。

トスケル医師がいた南フランスのサンタルバン村
(Credit: Florian Pépellin, Openverse)

 フランソワ・トスケルは1912年、スペインのカタルーニャ地方で生まれ、内戦を逃れて南フランスに向かいました。しかしそこでも第二次大戦やナチズムの苦難にあっています。そうした経験から、病んでいるのは精神病患者ではなく、むしろ戦争を起こす人びとだと考えるようになりました。「誰もが治療を要する精神科の患者」であり、「もしも苦難が社会からもたらされるなら、治療もまた社会で行わなければならない」と考えるようになったといいます。

 サンタルバン病院で、社会とのかかわりを重視する「制度的精神療法」というアプローチを提唱しています。そこでは医者も患者も対等で、患者は病院を出て村のなかに入り、村人と交流することができました。いまでいう、地域のなかの精神科です。患者の自由な表現が奨励され、これがいまのアール・ブリュットにつながりました。

アール・ブリュット展(ソフィア王妃芸術センター、マドリード、2022年。この展示が巡回され今回のニューヨークでの展示となった)
(Credit: CaroEspinoza, Openverse)

 そんなラジカルな精神科があったとは。
 1940年代から50年代の南フランスに。しかもそこには、パブロ・ピカソやジャック・ラカン、ジョルジュ・シムノンらもつながっていた。
 それほどすばらしい精神科がありながら、どうしてその後のフランスは、いやフランスだけでなくどの国もが、それを引きつげなかったのか。社会そのものが狂っているかぎり、そのような精神科は成立しないということなのかと、考え込んでしまいます。

 アバンギャルドの精神科から今日の精神科を見直す。おなじように、アール・ブリュットから正統派の芸術を見直す。それが美術展の呼びかけでしょう。ぼくは、「誰もが治療を要する精神科の患者」というトスケルのことばを思い起こします。
(2024年8月7日)