逆さまの誘惑

 バオバブの木に、ぼくは特別な親近感を抱いています。
 なぜかはよくわからないけれど、おそらくそれはこの木の太い幹と、その上に茂る枝や葉の全体が漫画のようだからでしょう。ニックネームが「逆さまの木」というのは、まるで根っこが上に生えているかのようなイメージからきています。

 このバオバブは、これまで信じられていたようにアフリカ本土ではなく、マダガスカル島の原産だったことがわかりました。どうでもいい話のようだけれど、ぼくにとっては注目度の高いニュースです(The Unusual Evolutionary Journey of the Baobab Tree. May 15, 2024. The New York Times)。

 ロンドン大学のクイーン・メアリ博士らの「バオバブ学者」が、科学専門誌ネイチャーに発表した研究によると、バオバブは2100万年前、アフリカ東部沖のマダガスカル島でいまのような木になった。1200万年前、インド洋の海流に乗ってアフリカ本土とオーストラリアに流れ着き、今日ぼくらが目にするバオバブに成長したのだろうということです。

 バオバブは巨大であるとともにきわめて長寿で、樹齢は数千年にもなるといわれます。
 このユーモラスで奇妙な木が生まれたのは、マダガスカル島に独特の自然環境があったためらしい。この島にしかいないフルーツバット(コウモリ)やキツネザルなど、花の蜜を吸う哺乳類がバオバブを繁殖させたと推測されている。

 アフリカ本土原産と思われたバオバブが、じつはインド洋の島で生まれたこと、しかもこの「逆さまの木」は、マダガスカルがガラパゴス的な環境だったのではじめて可能だったということは、生物の進化を考えるうえで示唆に富んでいます。またバオバブは気候変動に弱い遺伝子構成で、このままでは絶滅するかもしれないと今回の研究でわかりました。バオバブ愛好者としてはとても気になる話です。

 ぼくはかつて、アフリカ大陸でバオバブを見て興奮しました。これがあのバオバブかと。
 なぜならバオバブは、『星の王子さま』に登場する特別な木だからです。

 星の王子さまは、赤いバラをとても大事にしていた。でもバオバブは星を破滅させる悪者の木として描いている。その寓意をどう読み解くかはいろいろだけれど、バオバブを目にしたぼくは星の王子さまに同意できませんでした。これは悪い木なんかじゃない。現地の人がいうように、大いなる霊がやどっているにちがいない。
 そして思ったものです。星の王子さま、というか作者のサン=テグジュペリは、やはりバオバブを「逆さまの木」と見ていたのではないか。あの理性の代表のような20世紀フランスの作家も、逆さまを、「正常と異常」を分別する感覚で見ていたのではないか。逆さまを異常とする自分の理性を、正常と信じて疑わずに。
(2024年5月22日)