『フェリックス・ガタリと現代思想』で、目を開かれたところはいくつもあります。
ガタリ思想は「アール・ブリュット」という指摘もそのひとつ、杉村昌昭さんの見方です。
「ガタリの思想作品もアール・ブリュットの芸術作品も、わかりやすさと難解さを兼備している。しかし、だからこそ、そこに何か新しい世界がほの見えてくるのである」(p318)

(ナカニシヤ出版、2022年)
アール・ブリュットは日本語では「生(き)の芸術」、いわば“しろうと”の芸術のことで、知的障害者の絵などがわかりやすい例とされる。一見稚拙な表現が、日常にはない異様な力で出現することがある。
ガタリの思想がアール・ブリュットだというのは、ガタリがプロの哲学者より稚拙だという意味ではない。まったく逆です。従来の哲学者が思いもよらず、見えなかった、見なかった領域に目を向けたことをさしている。ジル・ドゥルーズは、ガタリが「奇妙な概念が生息する未知の領土」を歩ませてくれたと述懐している。

(北海道・浦河ひがし町診療所。2012年)
『フェリックス・ガタリの思想』(青土社)という著作で、伊藤守さんもいっている。
「・・・ガタリが病院で経験し、そこで思考することを迫られ、生涯にわたり考え続けた問題を把握するためには、アール・ブリュットというテーマを避けて通るわけにはいかない」(p20)
ガタリ思想の根源的な重要性は、アール・ブリュットの比喩で浮かびあがる。
ぼくは北海道浦河町のひがし町診療所を思い起こします。待合室に並んでいたアール・ブリュットの雑多な集合が目に浮かぶ。
絵画や粘土の造形もあるけれど、患者が診療所に宛てて書いたメモまでもが「芸術作品」として展示されている。この雑多性、了解不能性はなんなのか、へきえきしつつも、その奥には何があるのかとふと考えてみる。

(患者のメモが”作品”とされていた。2012年)
ふと考えても、そこで終わるのがぼくのような凡人です。
ガタリはそうではない。目の前に了解不能なものがあっても、考えつづける。
10代のころ、たまたまガタリは精神病院で働くようになった。精神病のことなどなにも知らず、とまどうばかりだったらしい。けれど短期間のうちに精神病者を正確に捉えている。彼らは特別な人ではない、狂気は社会に抑圧された人間の表現であり、抑圧をもたらす社会こそが治療すべき対象なのだと。
おそらく学習ではなく直感で、そうしたことを体得している。
直感の人ガタリが、アール・ブリュット、生(き)の哲学を生み出した。生だからこそ、ガタリ思想ははじめから哲学を超えた哲学だった。
そんなふうにとらえながら、ぼくはアール・ブリュットの哲学に染まっています。
(2025年12月3日)
