5千年前もおなじ人

 八ヶ岳の山麓に3日ほど滞在しました。
 ぼくは若いころ八ヶ岳にはよく行ったけれど、ここが縄文遺跡の宝庫だとは知りませんでした。掘ればいくらでも縄文土器が出てくると土地の人がいいます。自分の足元に5千年前の文化が埋もれていたとは。
 所用のついでに、長野県富士見村の「井戸尻考古館」を訪れました。縄文時代中期の土器や石器が豊富に陳列され、ぼくのようなしろうとにも見ごたえがあります。

 キュレーションが抜群です。
 ただ土器や石器を並べるだけではない、それが何かをたくみに語りかけてくれる。「情報」ではなく「物語」を提示しているのですね。

 最初に引き込まれたのは、「農耕があった」という物語でした。
 むかし学校で習ったとき、縄文時代に農耕はなかった。水稲耕作は弥生時代からです。縄文は狩猟採取だけの原始的な時代でした。
 そういう旧来の思考に、井戸尻考古館は挑戦します。
 石器のかなには、木の柄を取りつければ鍬(くわ)になるものがある。これは土を掘り起こすのに使われたにちがいない。考古館スタッフはそれで実際に土を耕し、作物を作って食べてみます。そこに、これまで想像もつかなかった縄文の暮らしが浮かびあがる。ここには農耕があった。井戸尻には”文化”があったのだ。

 現代人の目で見るのではない。できるだけ縄文人になりきり、その目で見ようとする。いわば地面に降り立った考古学。
 すると、縄文人は幼稚な未開人という偏見が薄れます。
 石器で単純なことしかできなかったという見方が、石器だのによくここまでできたものだ、すごいよな、となる。

 土器もまた、別な見方ができるようになります。
 縄文土器というのは、粘土を器にするときに使った縄の跡がある。だから縄文、と思っていたら、井戸尻の土器に縄目模様なんてどこにもない。奇妙な模様、線刻が走っています。それが千年単位で変化し、しだいに人やヘビやカエルの模様が象徴化され刻まれている。

 こうなると日用品というより、表現作品です。
 5千年前にこれを作った人たちは何を考えていたのか。やっぱりどこかで「自分」を表現したかったのか。それってアートだよな・・・5千年前もいまも、人って変わらないんだ。
 日用品の様式に、それでもなお刻み込まれた「個としての表現」。ぼくは縄文人にこれまでにない近さを感じたのでした。
(2024年10月1日)